伊豆下田周辺海岸観光

今週8月5日(月)日帰り観光バスで伊豆半島の南端に近い下田周辺の海岸を巡るツアーに参加しました。
7時半に武蔵小杉駅集合、東名高速、伊豆縦貫道経由で下田港に着いたのは12時少し前。
配られていた弁当 (金目鯛・うなぎ・鮭粕漬とご飯)は既に車内で食べ終えており、更に15分くらい西の竜宮窟に直行。
image.png
かつては、洞窟だったのが、陥没して写真のようになった由。外海から波が洞窟の中まで入り込んでいます。
竜宮窟ハート.jpg
陥没した穴の上から見ると、陥没した砂がハートの形に見えます。
田牛海岸.jpg
竜宮窟の外の田牛海岸です。西日本に到来している台風8号の影響か、いつもより波が荒いようで、本来ツアーの観光先の石廊崎巡りの船が欠航。
黒船サスケハナ号.jpg
代わりに、下田港内を観光する黒船サスケハナ号に乗ることになりました。
下田港.jpg
船内から下田港を眺めた写真です。左の山、寝姿山山頂には、江戸時代末期黒船見張所が置かれ、外国船が見えると直ちに下田奉行所に連絡される仕組みになっていました。その見張所には大砲も据えられていたようです。また右側の島、柿崎弁天島は、ペリー来航時、吉田松陰が密航を企み、黒船まで漕ぎ出した場所です。
image.png
下田港の東の恵比寿島の西海岸の写真です。伊豆半島の南部には太古の海底火山の噴出物が広く分布しています。長い海底火山の時代の後、伊豆全体が北上し本州に衝突し隆起と侵食を受けたため、本来地下に埋もれていたはずの内部構造が直接見られるようになったのです。白・灰色の縞模様の砂の層は、火山から噴出した軽石や火山灰が海底に降り積もったり、海底に運ばれたりしたものです。
恵比寿島千畳敷.jpg
島の南海岸の千畳敷は、波が削った浅瀬が、その後の隆起によって海面上に姿を表した「波食台」です。周辺には、角張った岩や土石の地層が見られますが、海底を流れた土石流だそうです。
バスは、3時40分には下田を出発したのですが、伊豆中央道、東名高速道の渋滞もあり、武蔵小杉着は8時40分、帰宅は9時半でした。
0

隅田川花火

7月27日(土)台風6号襲来が心配されましたが、首都圏は大きな影響を受けることなく、隅田川では久しぶりに花火大会が行われました。

お台場.jpg
屋形船で花火を見物する機会をえましたが、屋形船は約70人乗りの横浜に本拠のある会社が運営しているのですが、集合は午後2時40分、お台場「東京テレポート」海上バス乗り場です。

屋形船内部.jpg
屋形船の内部です。乗船出航するとすぐに食事。隅田川会場付近では火が使えないので、揚げたての天ぷら等は、その前に提供する必要があるとのことです。

午後4時隅田川.jpg
隅田川会場付近への立ち入り開始時刻は午後4時なので、陣取りのため全速力(時速10ノット)で約40分で移動。沢山の船が既に待機しています。

津軽三味線.jpg
花火打ち上げ開始が午後7時なので、それまで津軽三味線名手(3年連続日本一とか)の演奏で時間をつなぎます。人手不足で、客の一人がマイクを持ってサポートしています。

スカイツリーと花火1.jpg
船同士の陣取り合戦(?)の結果、我々の船は、花火打ち上げの第1会場(言問橋と桜橋の間)から2.5km下流、第2会場(厩橋と駒形橋の間)から900m下流の蔵前橋と総武線鉄橋の間に錨を下ろしました。スカイツリーが右前方に見えます。メインの第1会場の花火は遠く下の方に見えますが音が聞こえませんでした。

三脚なしで撮った写真を何枚か紹介します。
蝶のような花火.jpg

花火の輪.jpg

スカイツリーと花火2.jpg

隅田川花火1.jpg

隅田川花火2.jpg

周辺の屋形船です。後方に見える橋がJR総武線の鉄橋です。花火は午後8時半過ぎに終了、お台場経由帰宅は11時でした。
屋形船たち.jpg
0

世界の気候が狂いはじめている?

九州南部には豪雨が集中し、この数日で通常7月1ヶ月に降る雨量の2倍以上が記録されているとのことで、川の氾濫、崖崩れ、死者も出る被害が報道されています。一方、九州北部は水不足で福岡県の渇水対策本部は節水を呼びかけています。行橋市の水がめ貯水率は10%以下に落ち込んでいるとのことです。
海外では、中国貴州省などが大規模な洪水が報道される一方、インド南部は猛暑と渇水で、人口900万のチェンナイ(旧名マドラス)では昨年200日間雨が降らず、貯水湖の全てが枯渇状態(写真)で飲料水の確保が困難になっているようです。
インド水不足枯渇.jpg
ヨーロッパは北アフリカから押し寄せる熱波で、ドイツ・チェコでは史上最高の38℃超、フランスでは43℃超、スペインは45℃を記録したとのことです。
世界の気候が異常を来しているようで心配です。
0

喜多方しだれ桜まつり・大内宿・湯野上温泉駅散策

今週4月22日東北新幹線とバスを使った日帰りの会津喜多方千本桜観光ツアーに参加しました。
画像途中、湯野上温泉駅に立ち寄りました。会津鉄道(会津若松と会津高原尾瀬口を結び、東武鉄道を経て日光/浅草に繋がっている)の中間駅で茅葺き屋根の駅舎が特徴です。周辺は八重桜が満開でした。
画像大内宿の写真です。会津若松と日光・今市を結ぶ会津西街道の宿駅でした。会津藩が江戸時代初期に会津と江戸を結ぶ幹線道路として整備したもので、米などの物資輸送や会津藩主の参勤交代にも利用されました。
画像本陣・脇本陣が置かれ参勤交代では総勢約600人が立ち寄ったとのことです。建物の多くは江戸時代後半から明治にかけて建てられたものだそうです。明治以降は鉄道や新国道が出来、この街道が輸送に使われなくなると大内宿は衰退したので全長約450mの昔の街並みが残ったと言われています。
画像喜多方のしだれ桜です。国鉄合理化で廃線になった道路(自転車専用道路)約3kmに昭和63年植樹したしだれ桜がほぼ満開でした。
画像
画像遠方の山並みには雪がのこっています。喜多方は、酒造りや醤油造りの土蔵が並ぶ蔵通りや喜多方ラーメンでも有名です。東日本大震災で福島県は大きな被害を受け、一時は観光客も減り、産物も風評被害を受けました。最近は観光客も増えてきているようであり、早く豊かな福島県に戻ってきて欲しいと念願しています。








0

五島列島旅行記(その2)----上五島

福江島には2泊し、3月5日(水)朝の高速船で北東方向の上五島に移動します。久賀島、奈留島を左に見て、中通島の南端奈良尾港には30分ほどで到着します。そこからレンタカーで1日半のドライブ観光です。
画像奈良尾から15分程のドライブで、米山展望台です。標高234m、島を東西に分ける分水嶺にあり、写真は西方向、若松瀬戸から若松島を見渡す眺めです。
画像若松大橋を渡って若松港では11時半に予約していた小型観光船の船長と待ち合わせ、キリシタン洞窟に向かいます。写真は、キリシタン洞窟近くの岬にある岩礁で「ハリノメンド」と呼ばれています。五島方言で針の穴の意味だそうです。穴の右側の岩の形状が聖母マリアが幼いイエスを抱く姿を想像できるというのです。
画像明治初め五島地方でキリシタン弾圧が始まり、迫害を避けて船でしか行けない険しい断崖の洞窟に3家族が4ヶ月間隠れ暮らしていたのだそうです。煮炊の火のわずかな煙を通りかかった船に見つかってしまい、死は免れたもののひどい拷問を受けたのでした。子孫の話では、ある人は目を槍でつかれて失明し、ある人は針の板に座らされ生涯脚が不自由になったとのことです。
画像1967年に十字架とキリスト像(高さ3.6m)が立てられました。小型船では我々夫婦の他男女5人が乗り合わせ上陸したところです。岩浜で足下は相当不自由です。
画像中通島に戻り、写真は静かな入り江に立つ中の浦教会堂です。 大正14年(1925年)に建てられた木造瓦葺きの教会です。海の潮が満ちると水面に優美な姿を映すことから「水鏡の教会」とも呼ばれるそうです。


画像海辺の丘の上に天高くそびえる大曽教会堂です。明治12年(1879年)に木造天主堂が建立され、大正5年(1916年)鉄川與助により現在の教会堂が建てられました。八角形ドーム型の鐘楼、色の異なる煉瓦を規則的に配置したり、煉瓦の凹凸を効果的に壁面を意匠化する等が特徴です。

画像洋上に石油備蓄基地が見えます。世界初の洋上備蓄基地として1988年に完成したもので、現在440万リッターが貯蔵されています。当初は福江島に計画されたのですが、大量の石油貯蔵は危険との反対運動があり、人里離れた上五島の洋上に建設されたのでした。
1970年代のオイルショックを経験し、緊急時に備え国が原油を備蓄することとし、現在日本全体で8070万リッター、約200日分の石油が備蓄されています。
画像奈摩湾入口西側の半島の北端が矢堅目崎です。円錐形の巨大な岩が突き出ています。写真を撮っている場所は約100mの断崖の上の公園で、眼下は東シナ海です。

画像奈摩湾の東側に立つ青砂ヶ浦天主堂です。明治12年(1879年)頃は小さな集会所風だったのが、明治43年(1910年)鉄川與助により設計施工され完成したのが現在の天主堂です。当時の神父が外国から原書を取り寄せ設計施工を指導したそうで、建物全体の均整がとれ、様式や意匠が正統的と言われています。国指定重要文化財になっています。
画像青砂ヶ浦から北に4kmほど行った東西に海を望む高台に立つ「ホテルマルゲリータ」が宿泊場所です。2012年にオープンしたリゾートホテルで、上五島にある教会数と同じ部屋数を29にしてあります。部屋の風呂から朝日か夕日が楽しめるのですが、当日は曇から小雨模様に変わる時間だったので、写真のような具合でした。
画像翌朝は雨模様の中、約50分車を運転して頭ヶ島に向かいます。中通島の東端と橋でつながる頭ヶ島は、環境保護の観点から、住民や限られた人しか車乗り入れが許されてなく、一般者は、上五島空港(定期便は飛行していない)駐車場に車を停め、そこからシャトルバスで頭ヶ島天主堂に行きます。頭ヶ島は病人の静養地として人が近づかなかったこともあり、潜伏キリシタンが移住、閉ざされた環境の下で信仰が続けられた集落でした。大浦天主堂における「信徒発見」のあと、宣教師と密かに接触し、本来のカトリックに復帰したのでした。最初は木造の教会堂でしたが、信者たちが島内から持ち寄った砂岩を使った石造りの聖堂です。国指定重要文化財になっています。
画像頭ケ島天主堂は鉄川與助の設計で明治43年(1910年)着工され約10年を経て大正8年(1919年)完成しました。堂内の撮影は禁止です。これはインフォメーションセンターの展示品の写真です。堂内の特徴は、柱がなく、花の装飾とステンドグラスに彩られて明るい雰囲気です。
画像上五島の中心部近くに位置する旧鯛の浦教会堂です。五島における布教拠点として明治14年(1881年)に創設。現在の建物は昭和36年(1903年)木造瓦葺きの正面に煉瓦造りの鐘楼を増設したもので、一部には浦上天主堂の被曝煉瓦が使用されているとのことです。頭ケ島天主堂をはじめ多くのカトリック教会に神父は常駐してなく、隣接する鯛の浦教会の神父が定期的に巡回してミサをあげているのだそうです。約2万人の中通島の人口に対しカトリック信者は5千人、4人に一人がカトリック信者ということになります。
有川港の近くで昼食をとり、3月6日(水)有川港発午後2時20分定刻発の九州商船の高速船で長崎港まで2時間、小雨の降る中でしたが、船の揺れは少なく、無事の航海でした。




0

五島列島旅行記(その1)---福江島

五島列島が世界遺産になったのを機会に、3月3日(日)から3泊4日の旅に出かけました。
羽田11時発、長崎で飛行機を乗り継ぎ福江島に午後3時半に到着しました。
画像宿泊は、港や中心街に近いカンパーナホテルです。写真は窓から南側を見た眺めです。福江城(石田城)は、外国船襲来に備え1849年から15年かけて、藩主五島氏により築かれた江戸幕府最後の城郭です。当時は三方海に面した城でしたが、その後埋め立てられ、現在は福江市街の中心に位置し、石垣や門が残っています。写真の天守閣は城の二の丸に建てられた五島観光歴史資料館、その右に見えるのが県立五島高校の校舎です。遠方に見える山は標高315mの鬼岳。山焼をして茶色をしていますが、芝生に覆われた火山です。伊豆半島の大室山に似ています。
画像武家屋敷通りの石垣が昔の面影を残しています。石垣を積んだ上に丸い石が頂部を形作っていますが、いざ外敵が攻めてきた時に投石する弾に使えるように考えられているとのことです。
画像福江島島内を見て回るのには五島観光の定期観光バスを利用しました。最初に訪れたのは島の西端にある井持浦教会堂です。1895年(明治28年)に赤煉瓦造りの教会堂として建てられたのですが、その後、台風で倒壊し、赤煉瓦を模したコンクリート造りの現教会になったそうです。当日は我々より早く観光バスでやってきた韓国カトリック教徒団体が、韓国人神父のもと、この教会堂でミサを行っていました。
画像1899年に日本で最初に作られた「ルルドの洞窟*」として有名になり、信仰の聖地として巡礼者が訪れるのだそうです。横の井戸には霊水が注いでいます。
*注:「ルルドの洞窟」:1858年フランス・ルルドの洞窟のそばで薪割りをしていた14才の少女の前に聖母マリアが姿を現し「泉に行って水を飲んで顔を洗いなさい」と告げた。近くに水は無かったが、聖母は洞窟の岩の下を指さした。清水が湧き出ており、ルルドの泉の始まりとなった。泉の水によって不治の病が治療される奇跡が次々と起こり、ルルドはカトリック有数の巡礼地となった。
画像島の西南端の大瀬崎断崖です。高さ100mから180mの海蝕断崖が東シナ海に突き出して約20km続いています。岬の先端には真っ白な大瀬崎灯台が見えます。映画のロケ地にもよく使われるそうです。
画像西海岸を北上すると高浜ビーチです。荒波で白い珊瑚と貝が粉末になって白い砂浜とエメラルドグリーンの海を作り出しています。ここからさらに北上した湾は、その昔(8世紀から9世紀にかけて)遣唐使が日本を出る最後の寄港地だったとのことです。
画像福江島の北の入り江に建つ堂崎天主堂です。1873年(明治6年)禁教令が解かれた後、五島で最初に建てられた教会堂です。江戸時代、禁教後の弾圧で五島のキリシタンは殆ど姿を消しましたが、1797年五島盛運は大村潘に移民を申し入れ、多くの潜伏キリシタンが新天地を求めて五島に移り住んできました。明治時代になり、宣教を再開したマルマン神父によりカトリックに復帰し、ペリー神父が明治41年に現在の天主堂を完成させました。現在館内は資料館になっています。
画像聖堂前の庭には両神父の銅像とともに、五島出身で26聖人の一人である聖ヨハネの殉教像が立っています。ヨハネ五島は、1597年大坂で捕えられ、長崎まで800km,33日間引き回された後、西坂において他の信者・神父25名とともに十字架上で殉教したのでした。当時19才の青年でした。聖ヨハネ五島聖骨は、西坂からマニラ、マカオ、大浦天主堂を経て、資料館開設時に里帰りしたとのことです。資料館には、この他、かくれキリシタン資料(経典であるオラショ、教会暦、マリア観音等)が展示されています。
画像福江島南端には鬼岳から流れ出た溶岩の海岸が7km続き亜熱帯植物が茂っています。五島の殿様が馬で通行中鐙が切れ、陸路をあきらめ海路に切り替えたので、鐙瀬溶岩海岸という地名になったのだそうです。
画像五島椿です。
幻の椿「玉の浦」は、ヤブツバキの一種で赤い花弁の縁を白い縁取りで包まれています。突然変異で生じたのですが、今では全国各地に植えられています。椿油は当地の特産品の一つであり、バラモン凧、サンゴ、多くの海産物、五島牛などが産物として挙げられます。なお、福江島の人口は約3.6万人です。久賀島。奈留島を合わせ現在は五島市になっています。
0

五島列島旅行記(その3)----長崎26聖人殉教地

五島列島が世界遺産に登録されたので、先週3泊4日の旅をしてきました。
帰途、上五島からの船と長崎空港からの飛行機を乗り継ぐ間に、日本二十六聖人殉教地と記念館を見学しました。五島列島旅行記の前に、まず長崎の二十六聖人殉教地・記念館から紹介します。
画像長崎駅から徒歩8分ほど、坂道を登った丘が西坂公園で、そこに26聖人をレリーフした記念碑とその背後に記念館があります。1597年豊臣秀吉の命令で外国人宣教師6人と日本人キリシタン20名がここで処刑されたのでした。
画像
発端は、1596年土佐に漂着したスペイン船の乗組員が「宣教師は信徒を増やし、やがて日本を占領する」と言ったことに秀吉が激怒し、宣教師・信徒合わせて24人の処刑を命じ、写真のように、京都から長崎まで約900kmの道を1ヶ月かけて歩かせ、途中加わった2人を含め26人を、信徒の多い長崎の西坂の丘で十字架に磔にされたのでした。(写真をクリックすると拡大し字も読みやすくなります。)
画像「日本での26人殉教」は国外で大きな反響を呼び、殉教から265年後の1862年ローマ教皇は26人の殉教者を「聖人」に列したと言われています。禁教となった江戸時代、キリスト教徒は絶えたと思われていたのでしょうが、1854年に日本の鎖国が解かれ、外国人や神父が数多く来日するようになり、それまで隠れてキリスト教の信仰を守っていた隠れキリシタンが多数残っていることがバチカンにも知らされ、驚きとともに、あらためて殉教した26人を列聖したのだと思われます。
信徒として潜伏している間、仏教徒を装い、祭壇を仏壇風にし、写真のマリア観音も幼子イエスを抱いた聖母マリアを観音像にして信仰を続けていたのでした。マリア観音は中国製が多かったそうですが、この観音像は国産平戸製です。
画像写真はフランシスコ・ザビエルが来日前にバタビアでポルトガル王に宛てた直筆の手紙です。この他、記念館には、経典に使っていた「オラショ」や26聖人ゆかりの品が多数展示されています。フラッシュなしでの写真撮影は許可されています。
0

虐待される幼い子供の悲鳴に全く機能しなかった大人社会

画像千葉県野田市の小学4年の女児が長期にわたり  父親から虐待を受け死亡させた事件では母親も虐待に加担したとして両親が逮捕されている。野田市の児童相談所は虐待について第三者から通報を受けても「無関係の人からの通報ですぐに動くわけにはいかない」と言い、一方、いじめのアンケート調査で「秘密は守りますから正直に答えてください」と約束しながら、父親の高圧的態度に服して本人の書いたアンケート用紙(記入当時女児は3年生)を加害者である父親に渡していたと言う。今回の殺人事件に児童相談所が加担したようなものだ。学校にしても教育委員会にしても、女児の保護を求めている小さな声に全く無能だったことが情けない。
この他にも、幼児を虐待する事件が各地で起きており、幼い子供への体罰・暴力を禁じ、死に至る事態の前に介入できる法改正が必要なのだろう。

 チンパンジーや他の哺乳動物に比し、人間は生まれるのが早すぎるのが特徴だ。3年くらいは誰かが育児をしないと生きてゆけない。母親だけでは育児が難しく周りの助けが必要なのだ。チンパンジーは生まれて後、おとなしくて自立するのも早いが、それでも母親は4年間は授乳・育児に専念する。集団で生活しており、その間交配もしない。チンパンジーと異なり人間の赤ちゃんは夜中でも大声で泣く。泣くことにより言葉を発する練習をしているのだ。そう思えば夜泣きにも我慢できるし、幼児期の反抗期を経て自己が形成されることを親は知っておくべきなのだ。昔は大家族で、年長者が助言や手助けをして子育てを助けていた。特におばあさんの存在が大きかったと言われている。人間以外の哺乳動物の雌は閉経後しばらくすると命が終わる。人間のおばあさんは長生きだ。200万年の人類の歴史の中で、おばあさんの存在が人類の進化を助けたという学者もおられる。ところが、核家族社会になって、おばあさんの活躍する場が狭まったのかも知れない。核家族化は避けられないのだから、中学校の家庭科や道徳の時間に、育児にあたっての子供の心理や対応の仕方を教育しておくべきなのだと思う。いじめを減らすには、小学校の時から、「正義には勇気を持て。見て見ぬふりをするな」「弱い者や困っている者には手をさしのべよ」といったことを教育しておくべきと思われる。虐待や、いじめが起きにくい社会になって欲しいものである。
0

異常寒波の原因は地球温暖化?

この冬、異常寒波が日本や米国に襲来しました。
4日前の2月9日には北海道の各地で氷点下30度を超える寒波と降雪が襲い、関東も大雪になる可能性もあるとの予報で身構えていましたが、大雪にはならずにすみました。
画像
当地横浜も9日朝の気温は氷点下、日中も1~2℃で、2cmくらいの降雪でした。写真は9日午後5時頃の自宅窓から撮ったものです。
画像
米国は1月下旬から異常寒波が襲い、米国中西部では氷点下40℃を超える寒さでした。写真は消火の水が凍ってしまった火事現場です。米国トランプ大統領は、かねてから「地球温暖化はウソ」と言ってパリ協定から脱退したのですが、今回の寒波に「いったい地球温暖化はどうなったんだ? 戻ってきてくれ、必要なんだ!」とツイッターでうそぶいていたようです(寒波で多数の死者が出ているのに不謹慎との声があがり、ツイッターはその後削除したようです)。
画像
米国南東部のノースカロナイナ州の池が凍り、ワニが冬眠に入った写真です。6500万年前、寒さと食料不足で恐竜は絶滅しましたが、ワニは生き延びた生命力を今回も発揮しているようです。
異常寒波の原因に地球温暖化が挙げられています。
画像地球温暖化の影響は、高緯度ほど気温上昇が大きく、北極地域の気温上昇は世界の平均気温上昇の2倍以上と言われています。図は横軸が1月から12月までの月、縦軸は各月の平均気温を示しています。特に今年は北極の気温が、赤い線のように異常に上昇しており、米国は北極よりも低温を経験したようです。
画像北極地域の気温が上がると上昇気流が発達し、本来極地に留まっている寒気の環が中緯度地域に押し下げられてくるようです。高緯度を回っているジェット気流は本来寒気(極渦)の南下を妨げているのですが、極地と低緯度との温度差が縮まると、ジェット気流が弱まり、南に弯曲するようになり、寒気(極渦)が日本や米国のような中緯度地帯まで押し下げられて、結果として異常寒波の原因になっているようです。
夏の暑さと冬の寒さが増し、気候のよい春秋が短くなるのは淋しいですね。なんとか、気候大変動を抑える対策を世界各国が真剣に取り組んで欲しいものです。
0

平成最後の年は----1ヶ月を振り返って

世界は先行き厳しい不安定な情勢で、日本にとってもリスクの大きい一年になりそうです。
画像
今月22/23日の安倍・プーチン会談では、ロシアに北方領土を引き渡す気が全くなく、先方は経済協力と日露平和条約早期締結を要求するだけで終始したようです。
北朝鮮の非核化を巡って2月下旬に米朝首脳会談が開かれると言われていますが、人工衛星等各種情報によると、北朝鮮は着実に核開発を進めているようであり、「将来の非核化」と言いつつ、核兵器を手放すつもりはなさそうです。人道支援や南北交流を名目として、北朝鮮は、韓国・中国・ロシアからの経済支援を増やしており、国連経済制裁も骨抜きになりつつあるようです。国連安保理は、韓国がこっそり北朝鮮に石油を渡したことを指摘しています。また、韓国は国防白書で、北朝鮮の「敵国」との記載を削除し、日本の「同盟国」表示が消えたようです。韓国文政権は南北統一を急いでおり、最悪シナリオは、核兵器を保有した南北統一朝鮮反日国家が誕生することです。

米中貿易摩擦も収まりそうにありません。画像
地図は、各国がどこを最大貿易相手国としているかを表示しており、米国(青)とともに、今や中国(赤)の存在感がいかに大きいかが分かります。米中貿易闘争は、中国経済の減速だけでなく、世界経済の不況につながる可能性が大きいです。米国FRBも昨日、世界経済の先行き下振れリスクが大きいと言っています。
画像

明るいニュースとしては、大坂なおみ選手(21才)が今月26日全豪オープンテニスで決勝戦を7-6、5-7、6-4でチェコのクビトバ選手(27才)に勝ち優勝し、世界ランキング1位になったことでしょうか。第2セット5-4の後の先方サービスをLoveFortyと3個のチャンピオンポイントを迎えながら、クビトバ選手の5連続ポイントで逆転され、次の大坂サービスもブレイクされて第2セットを失った時は感情的にも落ち込んでそのまま大坂は負けるのかなと思いましたが、トイレブレイクの後は見違えるように立ち直り、その精神の切り替えに感服しました。クビトバ(写真の後に立っている)は四大大会で2度も優勝した実力の持ち主でしたが、自国で強盗に襲われ利き手の左手を大怪我して一時は復帰不可能と言われていたのが今回決勝戦でも冷静にして強靱な試合運びで世界ランキング2位に復帰したのは流石と思いました。大坂選手は、ハイチ人の父と日本人の母を持ち、日本生まれながら4才からは米国暮らしで、日米二国の国籍を持っているようです。シャイなところは日本人的ですが、強靱な筋肉と自然体の言動は、今までのヤマトナデシコとは異なる新人類ジャパニーズの印象であり、これからが楽しみな選手です。
0

2018年を振り返って

今年も大晦日となりました。
平成30年を一字で表すと「災」だそうですが、この一年様々な災害に遭い、世界は混乱の中で年が変わろうとしています。
日本は、大阪周辺と北海道胆振東部の地震、西日本豪雨、台風21号と24号によって大きな被害を受けました。豪雨と酷暑そして強烈な台風は、地球の気候変動と関わりがあると言われています。

世界の多くの国は「自国第1」の旗のもとに、世界全体の平安や国際協調は無視されつつあります。
米国トランプ大統領は「移民排斥、メキシコ国境への壁建設」「国民皆保険(オバマケア)廃止」「貿易赤字対象国(知的財産驚異も含め、特に中国)への関税高額化」「多国間自由貿易協定(TPPなど)撤退」「気候変動条約から撤退」など多くの反対を押し切り、身内の利益と自身への支持者に気に入る政策を強引に進めようとしており、米国は分断国家になりつつあるようです。
米国が世界でのリーダーとしての存在感を失っている間に、世界は混乱に向かいつつあるように思えます。北朝鮮の核兵器廃棄問題についても、トランプ・金正恩の電撃的会談を実現したものの、その後北朝鮮は中露韓からの支援をえて経済封鎖を無力化し核開発は密かに続けているようです。中東への軍介入についても首尾一貫せず、思いつきで場当たり的外交のようにも見え、シリヤはロシアが影響力を増しています。
英国は脱EUの道筋を見つけられず混迷しており、フランスは燃料税を発端に大統領の政策に反対するデモが暴徒化するなど混乱しています。EU内でも南北の対立があり将来が不透明です。

一方、日本は如何でしょうか。
選挙を意識しての大衆迎合的政策が横行し、財政健全化、医療費高騰歯止めへの福祉税制一体改革、過剰な規制見直し、農業改革、憲法改定、長期エネルギー政策、周辺海域の警備防衛体制など大事な問題は先送りされています。1990年代に比し、米国経済は2倍、EUは1.7倍に拡大しているのに、日本はほぼ同レベルで止まっており、このままでは、日本だけが取り残され衰退していく可能性が大です。
経済面でも、米国の混乱に端を発した株価暴落が日本にも及び、日本も株価暴落の中で新年を迎えることになりました。政治。経済ともに将来に不安を抱えた年末でしたが、来年は、政治・経済・産業・科学技術ともに、将来を見据えて課題を一つ一つ解決していくリーダーが求められています。

どうぞ皆様佳い年を迎えられますよう!




0

北海道全停電(ブラックアウト---本年9月胆振地震時)の教訓

今年9月6日深夜の北海道胆振東部地震発生から18分後、北海道全体が停電した事故の原因究明と再発防止策の検討を依頼された検証委員会の最終報告が12月22日に確定し公表されました。なお、全停電から全体が復旧するのに45時間を要しています。
地震発生からブラックアウトに至る18分の経緯は下の図表に要約されています。
(図をクリックすると細かい字も読めると思います。)
画像
北海道全土が停電(ブラックアウト)になったのは、
1)震源地に近い苫東厚真火力発電所1、2、4号機の停止
2)それまで道東の水力発電所が道央に送電していたのが、地震により狩勝幹線(送電線)が地絡し、道央と一時分断され、道東の周波数が急上昇した(道東で需要より供給が過剰になった)ため、水力発電所が停止した
この1)2)を複合要因としています。
一時、本州からの融通等で周波数は回復させたが、苫東厚真1号機が停止すると、周波数調整機能が発揮できず、ブラックアウトに達したと述べています。
当時、需要309万kWに対し165万kWの供給を苫東厚真発電所に依存していた一極集中が問題であったとともに、周波数調整機能を有する京極揚水発電所(20万kWx2台)が作業のため停止していたことも不運な状況を作っていたといえます。

北海道は冬の電力需要がピークになるので、今冬の再発防止策として、
1)受給アンバランスが生じた時に、負荷遮断する量を35万kW追加
2)京極揚水発電所の運転を前提とした苫東厚真3台稼働
3)周波数が47Hz以下に低下した場合でも、需要の30乃至35%以上運転継続が可能な電源を確保
を掲げています。泊原子力発電所の再稼働時期が見通せない中で中長期対策としては
1)本州との連携容量を現在の60万kWから90万kWに設備増強
2)石狩湾新港LNG火力発電所の新設
が以前から進められており年度内に完成するそうです。

北海道全体の停電と言っても、利尻島や礼文島など、送電系統がネットで繋がっていない所は停電していないのですから、将来は地域ブロック毎に連鎖反応を防止することも考えなければいけないのでしょう。

画像また、全停電の2日間、北海道を本拠とするコンビニエンスストア「セイコーマート」は、電気自動車バッテリーから電気を取り出して、レジとLED電灯を生かし、ガス炊飯器で握り飯を作って100店舗で営業を続け、緊急時の食料供給に貢献したと言われています。電気に全面的に依存している現代社会にあっては、いざという時のための「自助」努力も大事かも知れません。写真は我が家のプラグインハイブリイド(PHEV)車の非常時電源取り出し口です。
0

函館観光旅行

10月22日(月)~24日(水)函館観光に出向きました。
画像往路は新幹線、帰路は航空機を使うことにしました。
列車が青函トンネル (全長53.85km、海底部分23.3km)に入ると写真の如く前方電光掲示板にその旨表示が出ます。東京から函館北斗駅まで4時間の旅です。ホテルはJR函館駅近くにとりました。
画像
ホテルから歩いて10分ほどのところにある青函連絡船「摩周丸」を保存した記念館を見学。夜は回転寿司「函太郎」で夕食をとりました。写真は函太郎前の宇津浦海岸です。写真をクリックすると拡大します。左側遠くに見える島影は本州下北半島です。夕方になりイカ釣り舟の明かりが見えます。石川啄木・土方歳三記念館もこの近くです。
画像翌日は定期観光バス 1日コースで、朝10時から夕方5時までの観光です。元町には1859年函館開港当時から明治大正時代の洋館や和洋折衷住宅が並んでいます。特に目を引くのは多数の教会の建物です。この写真はロシア正教の函館ハリスト正教会で1860年創立、その後大火で焼失したのを1916年に再建されたものです。この他、1859年に建てられたゴシック様式のカトリック元町教会、1874年創設のプロテスタント教会、聖公会聖ヨハネ教会などが立ち並んでいます。江戸時代末期・明治初期はキリスト教が弾圧されており、隠れキリシタンと言われる人達を含め多くのクリスチャンが函館に渡ってきたのだそうです。
画像元町は見晴らしの良い山手で、その海側ベイエリアには赤れんが倉庫群が並びます。横浜赤れんが倉庫よりも沢山の建物が並び、建物内は土産物・宝飾・衣服など多種の店舗が並び賑わっています。遠方の山は函館山です。
画像江戸幕府は1802年に蝦夷奉行(のちに函館奉行)を設置。奉行所は当初、元町にありましたが、外国の軍艦から砲撃される距離にあり、1857年函館奉行所を守るため五稜郭を建設。石垣で5つの星型にしたのは、5つの頂点に大砲を設置し、死角をなくし相互に援護しあって敵の侵入を防ぐのに効率的という考えのオランダ式城塞とのことです。1868年~69年の箱館戦争の舞台になりました。地上90mの五稜郭タワー展望台からの写真です。360度見渡すことができ、1階には当時の大砲などが展示されています。
画像
修道女のためのトラビスチヌ修道院です。1898年に設立され、酪農と農耕で生活し、バターやクッキーは土産物として売られています。
画像函館山には元町近くの山麓から山頂までロープウェイがあるのですが、偶々年1回の定期検査期間にあたっており、往路はタクシー、帰路は定期バスで往復しました。山頂展望台の下には全面ガラス張りの展望レストラン「ジェノバ」があり、夜景を満喫しながら食事を楽しみました。
最終日は、元町とベイエリアを散歩し、自由市場を見学した後、空港に定期バスで行き、羽田空港に戻ってきました。天候にも恵まれ、ゆったりとした快適な旅でした。
0

プロゴルファー中島常幸氏の講演(バンカーショットの練習法など)

今日は、中島常幸氏(注)による「ゴルフから与えられたもの」という題目の講演を聴きました。
少年時代から厳しい父親のもと、プロになっても「青木、尾崎に勝て」と目標を与えられ、先輩ながらライバルとして2人に勝つ方法を「青木には、パッティングで2倍の時間をとるなど、相手をいらつかせ怒らせる。ジャンボ尾崎には、彼の自慢を全く無視する。」ことで成功した等の苦労話ととともに、プロを目指す後進の指導にあたって、大事な所で励ます効果等を話されました。不器用でバンカーを苦手とする中学生の少女には、5番アイアンでの徹底した練習を課したそうで、5番アイアンで球が出るようになればサンドウェッジなら楽にでるようになったそうで、その後彼女は選手権で優勝するにまで至ったのだそうです。
画像その後の懇親会での写真です。向かって左から2番目が中島プロです。「私はバンカーが大変苦手なので、先ほどの話はヒントになったのですが、5番アイアンは若者向きだと思うので、年寄はどうしたらよいでしょうか」と質問したところ、「8番アイアンで練習したらよい。3時間練習すれば必ず球が出るようになる。クラブは開いて、石で水面を水切りする要領だ」とスイングで示してくれました。
(注)中島プロの略歴-----64才。21才でプロテストに合格して以降、日本オープン4回優勝など優勝64回、賞金王4年連続、日本人選手として初めて四大メジャー全てでトップ10入り(2人目は松山英樹)。現在はプロゴルファーとして後進の指導にあたっている。
(感想追記)3時間バンカーショットの練習を続けたら腰痛になりそうなので、30分づつ6回に分けての練習ではどうでしょう???
0

三浦半島バス旅行

1週間前の10月6日(土)町内自治会の三浦半島日帰りバス旅行があり参加しました。8時20分出発の予定が全員集まりが早く、8時15分には発車していました。40名ほどの参加でした。
画像横須賀のJA直売所に立ち寄り採りたて野菜を買うなどした後、横須賀長井海の手公園ソレイユの丘に行きました。入場無料の広い園内には畑や温室があり、芋掘り収穫体験コーナーもあります。
画像
写真はコスモス花畑です。コスモス祭の最中でしたが、9月30日夜通過の台風24号の暴風と塩害でコスモスは全滅。生き残った花がわずかに顔を出しています。
画像園内には動物たちと触れ合えるカピバラ・カンガルー広場(写真)、アルパカ広場、うさぎ広場等があります。
画像
昼食は三崎港の食堂でマグロ丼定食です。通常料金は1600円とのことですが、マグロの一切れの厚みが普通の2倍はある満足感ある昼食でした。
画像三浦半島の名の由来である三浦氏一族は北条氏(北条早雲の時代)に滅ぼされました。また、戦国時代は房総半島対岸の安房国・里見氏の水軍にしばしば攻められ、この三崎港は当時の水軍の船団で溢れかえっていたそうです。写真の右の建物は「三崎うらりマルシェ」で海産物を土産に買い求めていました。
画像城ヶ崎公園の奥にある房総半島南端の安房崎灯台です。房総半島は2千万~3千万年前、太平洋プレート上に降り積もった海中堆積物が大陸プレート下に沈み込む際に堆積物(付加体)が剥離して積み上がり約50万年前に海面上に隆起して出来たのだそうです。
画像対岸の房総半島がうっすらと見えます。高い山は鋸山のようです。
次の訪問先は油壺マリンパークです。昔はこの場所に三浦一族の最後の居城・新井城があった由です。北条早雲の軍に攻められ3年間の籠城の末、三浦氏は1516年に滅亡しました。
画像油壺マリンパークは珍しい生き物だけでなく、相模湾や海洋の生態が見られる設備として工夫されているとのことです。約400種類の生き物がいるそうです。写真はミノカサゴです。

画像
世界最大規模600トンのドーナツ型大回遊水槽にはイサキ、ハギ、アイゴ等の群とオオメジロザメが共存しています。

画像
ペンギンの島です。





画像
イルカ・アシカの屋内ショー劇場です。
帰りのバスは途中トイレ休憩の後、 6時20分無事地元に戻ってきました。野菜や干物をぶらさげて家まで坂道を3分、天候にも恵まれた一日でした。
0

箱根の秋の花

箱根湿生花園と仙石原周辺の秋の花を紹介します。
画像
アサマフウロは、浅間山麓に多い、山辺の草地に咲く花とのことですが、国の絶滅危惧種の一つだそうです。


画像
サクラタデは本州から沖縄までの水辺湿地に育つとのことで、花期は8~10月です。


画像
サギソウです。白鷺が飛ぶ姿に似ており、育つのは低地の湿地に限定されるそうです。7~8月の花ですが、箱根では9月でもまだ見ることが出来ました。

画像
イワシャジンは関東南西部から中部南東部の山地の岩場に見られる山野草で、9月中旬~10月上旬の花です。


画像
サワギキョウです。山地の湿った草地や湿原に自生・群生し、8~9月が花期です。
写真は箱根湿生花園の湿原から仙石原のススキ道を撮ったものです。
画像
9月24日(休)は箱根仙石原のススキ祭の日でした。ススキは日当たりの良い山野に生え、沖縄などでは常緑ですが、本州では夏緑で冬に枯れますが、種子に白い毛が生え、穂全体が白っぽくなり、秋らしい風情を感じさせています。




0

北海道地震後なぜ電力不足が続いているのか

画像9月6日(木)午前3時7分に北海道胆振中東部を最大震度7が襲いました。今日8日の時点で死者23人、心肺停止12人、さらに5人が安否不明で、約4万人の自衛隊・消防隊等が捜索と復旧にあたっています。(追記9/25最終的に死者は41人。写真は9/7のNHKテレビ画面を借用)

一方、地震後、北海道全体が停電(ブラックアウト)状態となり、現在も一部に停電が続いており、電源の復旧は現在約8割と言われています。7日夜までには本州から60万kWの融通と北海道内各社の工場自家発電設備から50万kWの供給を受けていますが、8日現在供給不足は続いており、政府は電力復旧地域での節電を呼びかけ、節電が不十分な場合計画停電もありうると警告していました。

地震発生直前の北海道の電力需要(負荷)は309万kWでしたが、その約半分の165万kWを震源に近い最新鋭苫東厚真石炭火力発電所に頼っていました。地震発生で苫東厚真火力が止まってしまうと、需要と供給のバランスが崩れ、電気の周波数が正規の50Hzを維持出来ず下がってしまいます。各発電所は自分の機械設備が壊れる可能性を避けるため、ある基準値(47Hz以下)になると、自身を送電系統から切り離し発電を止めてしまいます。この連鎖反応で、地震発生後短時間で、北海道の全発電所が電気を送らなくなりブラックアウトが生じたのでした。(注)
本来、北海道管内には発電設備として、火力405万kW、原子力207万kW、再生可能エネルギー363万kW(太陽光133万kW、風力39万kW、水力165万kW、バイオマス24万kW、地熱2.5万kW)、その他合計1000万kWを有しているのです。
北海道は冬に電力需要は最大となり500万kWを超えるので、定期検査や故障の停止も考慮し安定した電力供給のためには、この程度の発電設備は必要と思われます。今回残念だったのは、泊原子力発電所が原子炉3基で電気出力207万kWの能力を持っていながら停止していたことです。

2011年3月の東日本大震災による東京電力福島第1発電所事故を契機として、国内全原子力発電所が停止させられました。2013年春に福島事故を教訓とした新規制基準が公布され、泊の原子炉3基も2013年7月に新基準への適合審査を申請したのですが、5年2ヶ月経過した現在も原子力規制委員会によって店晒しになっているのです。元々東電福島とは炉型の異なるPWR (加圧水型 )は、福島のような津波で全電源喪失になっても、あの様な炉心溶融大事故には至らなかったと言われており、既にPWRの炉を持つ関西、九州、四国の原子炉9基は再稼働を開始しているのに、北海道のみ取り残されているのです。今回の地震に遭遇し、再稼働していなかったのは規制側の恣意・怠慢のせいと言われても仕方がないと思われます。泊原発の地域は今回震度2であり、さらに強固な地盤に固定された原子炉の揺れは周辺の数分の一程度なので、今回の地震でも問題なく発電を継続していたと考えられ、ブラックアウトは生じなかった可能性が高いです。今回の停電で室内に発電機を置き一酸化炭素中毒で2人の方が亡くなった事故は避けられたと考えられます。

また、発送電復旧にあたって、再生可能エネルギーは363万kWの設備容量がありながら、このような緊急時には水力の一部を除いて全く役に立っていないことも、将来の電源構成を考えるにあたっての注意事項です。
苫東厚真発電所は3基のボイラー・タービン・発電機から構成され、地震の大きな揺れで3基とも損傷(ボイラーチューブ破損、タービン損傷など)しているようで、修理復旧にはかなり時間がかかりそうです。苫東厚真に全面依存する以外の緊急対策が必要なようです。
北海道が1日も早く元気な姿に戻ることを祈っています。

追記(9月25日):
大停電に関し現在調査検証が行われています。苫東厚真3基のうち、2号機(出力60万kW)と4号機(70万kW)は地震発生後数十秒でタービン振動大による自動停止。水力・風力を含め合計180万kWの供給力が失われたため、需給バランスを計るため143万kWの負荷を強制遮断、その後、本州からの融通電力も徐々に増え、地震発生10分後には周波数がほぼ50Hzを回復したそうです。情報収拾のための照明・テレビの電力需要が増えたこともあり、再び需給バランスが崩れ、更に強制停電操作を試みたものの、苫東厚真1号機(出力35万kW)のボイラーチューブ破損が進行し出力が低下し、地震発生17分後に1号機が停止したのを契機に周波数が急低下し他の火力も連鎖的に停止しブラックアウトが発生したようです。
その後、1号機の修理が終わり再稼働、今日4号機も戦列に復帰し、現在ピーク時供給力は461万kW、本州からの緊急時融通を含めると511万kWが確保できたと北海道電力が公表しています。3号機のボイラー修理には時間がかかることもあり、冬場の需要増に対し「無理のない範囲での節電」を呼びかけています。住宅被害、観光客激減や産業への影響も大きく、多様な支援が必要と思われます。
0

小笠原クルーズ観光(その3)----母島及び島々

画像小笠原村の中で、母島は広さ21km2、人口470人、父島から船で2時間、商店は3軒しかなく、昼の食事処もないので、島民の生活環境を乱さないため、にっぽん丸からの船客は午前、午後に分かれ、各班80人ずつ小型ボートで沖港に上陸し、母島滞在時間は3時間10分に制限されました。村の中心(沖港)近くの鮫ヶ崎展望台からの写真で、前方の島は向島です。
画像母島に最初に定住したのは、1857年英国人モットレイ夫妻、次がドイツ人捕鯨船員フレデリック・ロルフス(通称ロース)、彼は日本人として帰化しました。ロースとモントレイは母島を開拓し、建材や道具作りに有用な石材を発見し、島民はこれを「ロース石」と呼んだとのことです。写真のロース記念館は、1913年にロース石で建てられた倉庫を移築復元し、屋根は戦前の民家の屋根を伝承したビロウ葺きとし、中は人々の暮らしと歴史の郷土資料館になっており、東京都文化財に指定されています。
画像沖港から徒歩10分ほどのロース記念館から沖港に向けて歩いてくるとすぐに、小中学校(児童生徒合わせて41人)、村公民館、村役場、保育園(園児20人)が並んでいます。その先に前浜ガシュ下と称するガシュマルの広場があります。近くの農協や漁協の売店は休業中。船客待合所売店で、海底で1年間熟成させたラム酒を買いました。
太平洋戦争前は母島にも2000人が暮らしていましたが、1944年全島民強制疎開させられ、その後米国統治下から1968年に返還されるまで、母島は無人島だったため、島はジャングル化し、一般島民が戻れるようになったのは1973年だったそうです。父島の最高峰(中央山)が319mなのに対し、 母島の最高峰は463m(乳房山)のため、雨雲が山にぶつかり、父島よりも母島の方が降雨量が多いのだそうです。
画像沖港の公園には野外ステージがあり、地元の人達による南国踊りが披露されました。小笠原はミクロネシアとも交流があり、そこの踊りが取り入れられたようです。
画像母島から出航後、船はクジラの群れに遭遇。クジラの姿はうまく写真に収められませんでしたが、複数のクジラが潮を吹いているのが判ります。
画像


父島・母島の西130kmに西之島があります。西之島は海底火山活動によって出来た火山島で、2017年から噴火活動が活発になりましたが、その8月以降噴火は確認されていませんでした。今年7月12日と13日に海上保安庁が噴煙と溶岩流出を確認したとの情報があり、夜中ですが7月16日と17日の2回、回り道をして特別に西之島を見に行くことになりました。午後11時過ぎ、闇の中の噴火の模様です(JTBカメラマンの撮影)。島から2kmの所まで接近しましたが、これ以上近づくと危険とのことです。火口は常時見えていますが、間欠的に生じる激しく赤い噴火は「ゴーオ」という音を伴って聞こえます。その際は海面が赤く映えて見えます。



画像
帰途、孀婦岩に接近し岩を1周見物しました。東京の南650km、鳥島の南76km、標高99m、面積0.01km2、マグマが硬化して出来た玄武岩です。カルデラ海底火山の外輪山(活火山)の頭が海上に突出しているのです。南西2.6km、水深240mに火口があります。英国人ジョン・ミアーズが香港から北米に向かう途中に目撃、旧約聖書で神に背き塩の柱になった女性に見立て「Lots wife(ロトの妻)」と名付けたのを「Lost wife」と聞き違え、孀婦岩(Sofu gan)の名になった由。確かに、幼子を胸に抱えた女性にも見えます。この他、外国人が発見した島が多く、須美寿(スミス)島、ベヨネース列岩等の名前がつけられ、渡り鳥の休憩地になっています。
画像鳥島は東京都心から580km、八丈島の南300kmに位置し、海底火山の南縁を形成する直径2.7km、最高峰(硫黄岳)394mの二重式成層火山島で現在は無人島になっており、上陸には許可がいります。にっぽん丸は鳥島を一周してくれました。昔はアホウドリの天国で、数百万羽が一斉に飛び立つと島が真っ白に浮き上がるように見えたといいます。江戸時代漂着者は百名ほど、島から脱出できたのは15例以上だそうです。ジョン万次郎は、土佐から漁船で流され143日鳥島で一人暮らし米国捕鯨船に救出されました。
アホウドリは人間を恐れず簡単に捕まえることができ、羽毛が高く売れることに目をつけ、明治初期に移住者が増え、玉置半右衛門らが組織的に捕獲し、搬出に軽便鉄道を作ったりして、1887年から捕獲禁止となった1933年までの間に千万羽が乱獲されたと言われています。1902年の噴火で当時の島民125人が全員死亡、アホウドリの祟りと言われたそうです。アホウドリは全滅したと思われましたが、1952年鳥島気象観測所長が南海岸燕崎(写真右下の黄緑色の斜面)に小規模なアホウドリコロニーを再発見。多分急斜面で天敵から守られていたと推測されています。
画像その後大切に保護され、今年は4200羽、雛も460羽が確認されています。現在は山階鳥類研究所を中心に保護活動がなされています。西岸の初寝崎は緩い斜面の緑地で、そこにデコイ(アホウドリの人形)と鳴き声のスピーカーを置き、アホウドリが鳥島に集まるのに寄与しています。写真に見える建物は、終戦後米国占領下では日本最南端の島として鳥島に気象観測所が設置されていた当時の常駐観測員の住居等で、1965年の再噴火で隊員は退却しました。小笠原が返還されたこともあり、観測所は閉鎖され、現在は保護活動出張者の宿舎として利用されています。
アホウドリは10月頃鳥島に戻ってきて雛を産み育て、4月頃南に向けて飛び立ちます。それまで親から餌をもらっていた雛鳥は1ヶ月絶食状態で体重を減らし5月には南に飛び立って行くそうです。人間とともにやって来たネコとクマネズミが天敵で、ネコはいなくなったが、クマネズミはまだ駆除されていないそうです。今、地球上のアホウドリの大部分が鳥島を営巣地としているとのことです。
画像
鳥島の近くではトビウオの群れが眺められました。写真は、トビウオをカツオ鳥が捕まえた直後です(写真をクリックすると拡大します)。カツオ鳥は今が雛を育てる大事な時期なので、トビウオは格好の獲物なのです。

画像
横浜寄港前夜は「洋上の夏祭り」が開かれ、盆踊り大会(写真)や屋台など盛況でした。
翌朝8時50分横浜港大波止場に着岸。旅行中、天候に恵まれ、波も穏やかで、元気に無事旅行を終えることができました。
0

小笠原クルーズ観光(その2)----父島観光

父島は面積23.45㎢、人口は2140人。産業としては一次産業1割、二次産業2割、三次産業(観光、飲食)7割だそうです。フルーツ、魚介類、ラム酒、コーヒー等が観光と共に産業を支えています。
画像
観光タクシーで午前中3時間島内を観光しました。タクシー予約時刻の前に、まず村の中心部の大村地区を徒歩で観光。大神山神社に向かう途中の展望台からは二見港と大村集落が一望出来ます。
画像写真の聖ジョージ教会は欧米入植者によって1909年に建立されましたが、戦時中に焼失。戦後に再建されました。



画像
観光タクシーで大村から7分程行くと、父島西側のウェザーステーションと呼ばれる三日月山展望台です。
前方左遠くに50km離れた母島が見えます。下を見ると海の色が南国、ボニン・ブルーです。


画像3km東の長崎展望台です。右手に突出した岬が長崎。周辺の崖には枕状溶岩が見られます。


画像今から2600~6000万年前、海底火山爆発で粘性の低い溶岩が急激に海水で冷やされ、境目が黒色ガラス質の殻で囲われた枕の形をして海底に積み重なって堆積し、その後隆起したのだそうです。


画像そこから近くの夜明山の森中には、旧日本軍の基地跡の建物が残されています。一時2万人の兵士が駐在しており、 島民が本土に強制疎開となった後も軍の通信基地が残りました。本土決戦に備えた最後の砦として、壕や高射砲、発電所の跡が残っています。直接の戦場にはならなかったものの、米軍による空襲は相当酷かったらしいです。
画像二見湾内奥の境浦海岸には太平洋戦争中1944年に魚雷攻撃を受けた後、座礁した濱江丸の赤錆びた残骸が見えます。
画像小笠原海洋センター(民営)ではウミガメの飼育が行われています。ウミガメは父島の海岸の砂地に穴を掘り産卵しますが、高潮に攫われたり動物に食べられたりして、1万個の卵から育つのは数個とのことです。ここでは、主としてボランティア達が卵を孵化させ、子がめを飼育し、ある程度成育したら海に返してやるのだそうです。
画像昼食は、街中の寿司居酒屋で島寿司とハタハタの味噌汁を満喫。午後はオプショナルツアーで「南島海域公園ボート遊覧」に参加しました。1艘に12人くらいの観光客を乗せた大型ボート、漁船兼用と思われます。父島南端付近の写真です。写真で左側遠方は父島、右側は南島です。
画像父島の南端を回り込むと、父島南岸の円縁湾に面した断崖絶壁、千尋岩です。赤い岩肌がハート形に見えるのでハートロックと呼ばれ、ガイド付きトレッキングコースとして人気が高いとのことです。
画像
南島の全景です。






画像南島の断崖は沢山のカツオ鳥が住んでいる営巣地になっています。今が雛を育てる時期のようです。


画像本船に戻り、本船が二見沖を出港すると、大漁旗等を立てた漁船が多数港出口まで併走し、手を振ってお見送りをしてくれます。
0

小笠原クルーズ観光(その1)

画像JTBが企画した出発帰港とも横浜の小笠原父島母島クルーズ(7月14日出発5泊6日)に参加しました。写真の「にっぽん丸」は、商船三井が運用している客船で、三菱重工神戸造船所製、1990年竣工。22,472トン、全長166m、幅24m、8階建、最大出力21ノット(時速38km)、最大定員202室(1~6階) 524人、乗組員数230人と記されています。
画像夕食の後、7時30分から30分間ほど横浜港山下公園の花火を船上から見物。背景はランドマークタワーなどMM21と大波止場に停まっている「飛鳥Ⅱ」です。








画像午後8時半に出港。横浜ベイブリッジの下を通過時の写真です。

画像
東京都小笠原村は都心の南1000km。30余の島々から成り総面積104㎢。太平洋プレートがフィリピンプレートの東縁に沿って沈み込むことによって誕生。大陸と陸続きになったことのない海洋島なので動植物に多くの固有種が残されています。気温が32℃以上になることはなく、冬も12℃以下には下がらないとのことです。
小笠原父島まで35時間かけて航海します。地図はクリックすると少し大きくなります。
小笠原諸島は長く無人島のようでしたが、1670年紀州を出港したミカン船が母島に漂着。八丈島経由で下田に生還し、幕府に島の存在が報告されました。1675年幕府は調査団を派遣し「此島大日本之内也」という碑を設置。
一方、1727年信州小笠原貞頼の子孫を名乗る浪人小笠原貞任が幕府に対し島の領有権を求め、以降「小笠原島」と呼ばれるようになりました。その後、貞頼が1593年に「伊豆諸島南方に3つの無人島を発見した」という「巽無人島記」の記述の信憑性が疑われ貞任は追放処分になったとのことです。1800年代には海外から捕鯨船が訪れることが増え、1827年英国が領有宣言板を設置したり、1830年には白人5人とハワイ人25人が入植し先住民となりました。1853年米国ペリー提督が父島に寄港、石炭補給用の土地を住人セイボルト氏から購入し、米国の領有権を主張しましたが、幕府は歴史的に日本の領土であることを主張し1862年各國に通告し、翌年には八丈島から38名を入植させました。
1876年(明治9年)小笠原諸島が日本領土であることが国際的に確定すると、欧米系の多くは日本に帰化しました。
1944年には戦況が厳しくなり小笠原が戦場になる可能性が高く、住民6886人が本土に強制疎開させられました(住民の825人が残留)。敗戦後は米国の支配下となり欧米系135人だけが父島への帰島を許されました。1868年に本土復帰し今年が50周年というわけです。
0

異常気象が続いている

7月上旬の西日本豪雨では200人を超える犠牲者や2万戸を超える住宅被害、インフラ破壊をもたらした。その後は猛暑が日本列島全域を襲い、1週間で65人の熱中症死者が出、7月23日には国内の観測史上最高を更新する41.1℃が熊谷で記録された。異常高温は日本だけでなく、カナダや北欧の北極圏でも気温が30℃を超え、各地で山火事をおこし、米国カリフォルニアのデスバレーでは52℃を記録した。
画像今度は行動が変な台風が日本にやってきている。これまでに例をみない経路で、想定していない所で豪雨や突風が生じる可能性があると気象庁が報じている。神奈川県内でも海老名市や鎌倉市で早い時間から避難所開設し、早期非難を呼びかけている。
画像太平洋高気圧とチベット高気圧が台風の進路を塞いでいる上に反時計方向に旋回する上空の寒冷渦が、台風を日本列島で西向きに方向転換させるのだそうだ。(2枚の画像はNHK-TV画面)
次々と世界で起きている異常気象は、人為的な活動によって生じる地球温暖化が大きく影響していると考えるべきだろう。
画像国連組織のIPCCは、産業革命(19世紀後半)以降の平均気温上昇が既に1℃になり、2040年には1.5℃になるだろうと警告している。この数値は地球全体の平均気温であり、日本など中緯度地帯や北極などの高緯度地域では更に高温になる。上の図の左は今世紀末の平均気温上昇を2℃に抑えた場合の気温上昇分布であり、右の図は積極的な対策を行わない場合の今世紀末の気温上昇を示している。地域によって10℃を超える気温上昇が予測されている。(図はICPP報告書から借用)
画像表は、IPCCと気象庁による将来懸念である。気温だけでなく、海水温度上昇も大きいので、台風の強度が大きくなるなど、我々の生活に及ぼす影響も大きい。米国トランプ大統領のように、地球温暖化を否定する人もいるが、早期に手を打たないと取り返しのつかない事になると思われる。中国は気候変動問題に前向きに取り組む姿勢をアピールしているが、世界最大の温室効果ガス排出国(石炭燃焼が主流)であり、2030年までCO2を増やし続ける計画だ。
0

日本のエネルギー基本計画はこれでよいのか

 7月3日、今後の我が国エネルギー政策の方向づけを示す「第5次エネルギー基本計画」が閣議決定された。
従来の基本計画との大きな変更点は、再生可能エネルギー(太陽光、風力、水力、地熱などの自然エネルギー、以下再エネと略す)を2030年に向けて主力電源と位置づけたことだ。2012年に再エネ促進のため、時の政府が長期にわたって高値の固定価格で買取る制度(FIT)を法制化したため、太陽光発電のみの導入が急速に進んでいる。
画像
当時太陽光発電についてはkWhあたり40円での固定価格買取を20年間保証したため、投機目的も含め国内外から発電事業者が殺到したのである。電気料金は家庭用でkWhあたり25円程度、産業用で15円程度だから、この赤字分は賦課金として電気利用者(国民)が負担することになり、年間の賦課金は現在2兆円を超え、我々の電気料金に1割程度上乗せされているのである。賦課金は2030年には4兆円になると試算されており、消費税2%分の国民負担に相当する。
 世界的には太陽光パネルの価格は大幅に安くなっているのだが、日本では新規に参入する場合の買取価格は20円程度と、国際価格の2倍以上に止まっている。さらに太陽光発電の厄介なのは、日照時間に左右されるため稼働率は12~14%で、需要の少ない日の昼間には需要を上回る発電をする一方、天候や時間帯に左右される不安定電源のため、常にバックアップ電源を用意しておく必要があり、系統整備や系統安定化のための追加コストが余分にかかるのである。将来の再エネ増加に対しては余剰電力を貯蔵するバッテリー等の開発・低価格化が必要だが、明るい見通しはない。

 発電コストが安く、安定した電源は原子力と石炭なのだが、東日本大震災後原子力発電が止められ、石炭火力が増加していることに対し、国内外の環境団体から避難を受けている。(関西電力では現在4基が再稼働したため、電気料金引き下げを行った。)
 東日本大震災前には原子炉54基が稼働していたが、新規制基準が示されて5年も経つのに、再稼働したのは僅か9基にすぎない。設置許可を取得した6基、適合性審査中の11基を合わせても原子力比率20%には達しない。更に運転期間40年を超える原子炉も2030年前後には増加するので、現状のままではエネルギー基本計画に示す2030年原子力比率20~22%に達しない可能性が高い。
既存のものよりも最新技術で安全性も高めた新規プラントの建設を方向性として明確に示すべきで、原子力発電所の建設には少なくとも十数年は要するのだから、今すぐにでも着手する必要があるのだが、ポピュリズムに流され、新設やリプレースを打ち出せていない。
立地自治体・住民との間で万一の事故時の避難路が地元理解のネックになっているが、最新設計では過酷事故時にも避難を必要としない”Evacuation Free(避難不要)"の軽水炉が可能なのである。(海外では一部実現している。)  基本計画で方向性をしっかり示さないと、発電事業者もメーカーも人材投入や設計開発、新規設備に着手できないし、優秀な学生も原子力には来なくなる。 

 また、エネルギー基本計画では、原子力を国産エネルギーに位置付けているが、ウラン資源を海外に頼っている現状では真の国産エネルギーとは言えない。我が国に保有しているウラン238やプルトニウムをエネルギー源として活用して初めて国産と胸を張って言えるのだ。2050年のエネルギー事情は不透明であり、基本計画にも謳っているように、複数シナリオが必要である。今回の基本計画では、再生可能エネルギーを主力電源と位置付けているが、再生可能エネルギーが自立エネルギーになるには克服すべき課題が多すぎる。2050年のCO2削減80%を国際的に約束しているが、再生可能エネルギー主体では日本経済を大幅に犠牲にしない限り達成不可能だ。 
 それに比べ、プルトニウムを利用する高速炉の実用化研究開発は、東日本大震災前にかなり見通しを持った段階に達していた。不幸にして「もんじゅ」は廃炉が決まり、日仏で進めていた実用炉ASTRID計画の見通しも怪しくなっているが、資源に乏しい我が国としては、自主的主導的に2050年頃の実用化に向けた研究開発は手を抜くことなく進めるべきである。一部に使用済燃料に含まれるプルトニウムは原子爆弾の材料になると宣伝する向きがあるが真実ではない。原爆に使われる兵器級プルトニウムは重水炉等から作られプルトニウム239が93%以上を含む物を言うのであり、軽水炉使用済燃料はプルトニウム240など早期に核反応を起こしてしまう物が30~50%も含まれているので危なくて核兵器にならないのだ。歴史的にも軽水炉のプルトニウムから原爆を作った国は一例もない。
 一方、現在高速炉の実用化では、ロシアが最も進んでいるが、中国やインドが大規模な実用化プラントの建設計画を進めており、折角米仏と共にこれまで世界一流の高速炉技術を持ってきた我が国が将来、中露印の技術を買いに行くようでは情けない。
既に、次世代高速炉実用化への技術開発や実証試験は、民間組織も活性化して取り組んでいるところであり、イノベーションの旗頭の一つとして推進の価値が大いにあり、優秀な人材の持続的確保にも資すると考えられる。以上
0

大雨、箱根の美術館(成川、ラリック)

今週は色々なことがありました。
サッカーW杯ロシア大会は、時差の関係でTV実況が深夜であったにも関わらず、視聴率は40%を超えたとのこと。選手の活躍は勿論ですが、僅か2ヶ月で日本代表選手を束ね、決勝トーナメント(ベスト16)に進出できたのは、西野監督のマネージメント能力によるところが大きかったと言われています。決勝での対ベルギー戦も70分間は日本が勝つかも知れないとの夢を感じさせてくれた戦でした。

今週は西日本を中心に記録的な豪雨が降り続いており、洪水や土砂崩れによる大きな被害が今も続いています。
岐阜県郡上市では、降り始めからの雨量が1000mmを超え、四国中央市で700mm、九州から近畿にかけて各地で400mmを超える雨量が観測されています。7日午後10時現在死者49名(このうち、広島県23名、愛媛県18名)、安否不明48名と報じられています。
追記:7月11日22時点で西日本豪雨による死者は179人(広島75人、岡山57人、愛媛26人)、行方不明61人と報道されている。崖崩れ、河川氾濫の被害が大きいが、ダムの緊急放流による下流浸水での死者もでている。

今週、天候の優れない箱根の町では、美術館を訪れる観光客が結構多かったようです。
芦ノ湖畔の成川美術館では、現代日本画の展示が行われていました。
画像
第一室の正面には木村圭吾の「金青の海面(コンジョウのウナモ)」が展示されていました。岐阜県根尾谷の薄墨桜が金青の海面に見えると表現しています。
画像
高山辰雄の「月」です。
画像

平山郁夫の「ガンジスの夕(黄昏)」です。
なお、美術館内はフラッシュ無し撮影はOKでした。

画像

美術館の軽食喫茶室からの眺めです。



画像






美術館常設の展示品の象牙彫刻「華夏文明」の一部。

天地創造の時代から、三国志、唐、宋、明、清の時代までが精密に彫られた作品です。

画像
仙石原のラリック美術館では、「オパールとオパルセント」企画展が開かれています。
オーストラリアで産出されるオパールは、二酸化珪素に僅かな水が閉じ込められ長年に少しずつ析出されたため、光が七色に屈折した輝きを見せるとのことです。ラリックはオパールを使った独創的な装飾品とともに、ガラス工芸家としてオパールの色彩を追求したオパルセントガラスの花瓶や装飾品を作りました。写真はオーストラリア産のオパールを加工して花びらにしたものです。館内撮影禁止で、この写真は絵葉書からスキャンしました。
0

課題先送りの政府エネルギー基本計画

国のエネルギー基本計画は前回2014年に閣議決定され、3年ごとに見直す決まりのため昨年から政府審議会で議論され先月第5次エネルギー基本計画がまとまり公表された。6月17日までパブコメ募集中で、その後、閣議決定される。前回の基本計画から3年余たったが、目標に向け進捗状況は道半ばとしており、2030年の電源構成目標値は前回と変えないとしている。
画像
今回、再生可能エネルギーを主力電源化すると位置付けているが、太陽光発電の高値固定買取制度のため、既に毎年2兆円の賦課金が国民負担として課せられている。今後も再エネが増え続けると、2030年には年間の買取費用が毎年4兆円になると予想されている。しかも太陽光は昼の好天時でないとまともに発電しないので稼働率は12~14%程度であり、昼好天時は電力需要を上回る発電をする一方、その他の時間帯では他の電源が必要であり、今回の基本計画においても「太陽光や風力は天候次第の間欠性の問題から、供給信頼度は低く、その依存度が高まるほど自然変動によって停電を防ぐための品質の安定が困難になる。また、火力や原子力とは異なる発電立地となるため総発電ネットワーク全体の再設計を行う必要がある」と問題点を指摘しておきながら、追加設備(蓄電池や送電線)による発電コスト増大や電気料金抑制への対策については問題を先送りしている。

気候変動抑制のためのCO2削減については、震災後の原子力発電所停止措置により、震災前に比しCO2排出が増加しており、2030年のCO2削減26%( 2013年比)の国際公約に向け、新安全基準への対策が終えた原子力発電所は、さっさと再稼働するべきなのだが、原子力規制委員会の審査が手間取り、震災後7年も経つのに一向に進まない。震災前には54基の原子炉が稼働していたが、現在稼働中なのは僅か7基である。安全対策を終え規制委員会に審査を申請したものは26基だが、審査を終えたのは稼働中も含め14基だけだ。北海道の泊原発の場合、規制委員会の委員が途中で交代し、地震学者の前委員は活断層や最大震度、津波高さに過度ともいえる要求があったのをクリアしたと思ったら、後任の地質学者は「防波堤について液状化現象の可能性が否定できない」と言い出し、土木工事をやり直すなど委員の趣味・恣意に振り回されている感もある。国際機関IAEAからも原子力規制委員会の審査について事業者とのコミュニケーションを改善すべきとの指摘が出ている。過大な対策工事費用を勘案しすでに廃炉を決めたのが15基あり、2030年代に20%以上の原子力比率を確保するには、安全性を高めた最新技術の原子炉の新設あるいはリプレースが必要と考えられる。今回の基本計画の「政策の方向性」の中に「「原発依存度については可能な限り低減させる」と述べる一方、「我が国のエネルギー制約を踏まえ、安定供給、コスト低減、温暖化対策、安全確保のために、策定した2030年のエネルギーミックスにおける電源構成比率の実現を目指し、必要な対策を着実に進める」とあるので、原子力発電所の新設/リプレースは「必要な対策」に含まれると読めないことはないが、国策としての対策に何が必要か、しっかり政府として説得力ある説明をすべきである。原子力発電所の立地には10年以上を要し、国が方向性を示さなければ、事業者もメーカーも人材の投入は出来ない。
今回の基本計画にはエネルギー源への問題点は色々指摘しながら、解決への方向性を示せず、課題先送りと言わざるをえない。
0

箱根の春2018

画像
先週水曜日(3月21日)の当地方降雪により、富士山も白い部分が広くなっています。
画像
箱根湿生花園では、水芭蕉の花が見頃です。
画像
水芭蕉の花は芯の緑の部分で、初春の葉が美しい花のように映ります。
画像
大涌谷では、まだ積雪が残っているようです。
画像
一昨年来、新たな噴気口も生まれたとのことで、火口付近は立ち入りが規制されています。
画像
0

平昌冬季オリンピック雑感

冬季オリンピックは韓国平昌(ピョンチャン)で2月9日から25日まで17日間にわたって開催された。近年のオリンピックは商業主義の極みと言われているが、人気の高い種目は、第1のスポンサー米国TVに合わせて午前開催か夜に行われた。開会式終了後深夜3万人の観客を処理しきれず、氷点下10度以下の屋外で長時間交通機関を待たされたり、日本選手が公式練習後深夜の屋外に取り残されたこともあったようだ。
日本のメダル獲得数は13個と健闘したが、麻生財務相が「金をかけて外国コーチを招聘したから」と述べているように、金メダルを取るには、練習環境、高度なコーチ、科学的分析による戦略、国際遠征等が整うことが必須で豊富な資金が必要になっている。
画像昨年11月に怪我をして練習が十分出来ていない状況で、完璧に近い美しい演技を見せ男子フィギュアで金メダルに輝いた羽生結弦選手は、全日空が勤務先だが、カナダのクラブに属して指導を受けており、全体コーチ、ジャンプコーチ、ダンス、振り付けなど20名のスタッフに支えられている。
画像

一方、スピードスケート女子500mで金メダル(1000mでも銀メダル)を取った小平奈緒選手は、松本市の相澤病院所属だが、9年前、信州大学卒業間近になっても就職口が見つからず、結城コーチが、怪我などでお世話になっていた相澤病院に頼んだのが経緯のようだ。長野県を拠点にして結城コーチの元でスケート活動をしたいとの希望に対し、長野県に引き受け手がないということに相澤理事長は驚き、「大学卒の事務職同等の給料でよければおいで」と引き受けた由。遠征費用は連盟から費用が出るようだが、良いコンディションで活躍できるように、ビジネス航空運賃との差額を補助し、2年間オランダ留学を希望した際も滞在費を負担したとのことだ。
画像女子カーリングで3位となり、日本として初めてこの種目でメダルを獲得したのはLS北見というクラブチームの5人だ。全員北海道北見市常呂町の出身で、当時日本代表チームの主力(スキップ)だった本橋麻里が故郷で2010年に結成し、中部電力のスキップだった藤澤五月選手等を故郷に呼び戻してチームを強化した。北見は30年くらい前にカナダと姉妹都市関係を結んだことがきっかけでカーリングが盛んになり、常呂町にカーリング施設を持ち、小中高校の体育の時間にはカーリングを取り入れ、老若男女40チーム・200人が日頃カーリングを競うなどカーリングが盛んな町だ。資金サポーターは地元企業・店舗、個人会員等で北見市も全面的に支援している。昨年中部電力に勝って日本代表チームになると、ナショナルチームとしてカナダ人のコーチが指導し強くなったようだ。
画像金メダル獲得数では、ノルウェー、ドイツ、カナダ、米国、オランダが上位を占め、日本選手は外国選手と比べて一般に体力で劣るようだが、チームワークでの勝利が目立った。女子団体パシュート(追い抜き)では、メダリストを集め個人成績で上回るオランダを相手にオリンピック新記録で優勝、金メタルを獲得した。3人で走る先頭は空気抵抗で体力を消耗するので、どのように3人が先頭を交代していくか、スピードを落とさずに先頭から最後尾への移り方、3人の隊列・前後間隔など緻密なデータ分析結果を練習で実現するなど、365日のうち、300日間、練習を共にしたという。
画像当日は準決勝と決勝の間が2時間しかなく、準決勝で体の大きい菊地選手が先頭走行の時間を増やし、佐藤選手を休ませ、決勝の3人(高木美帆、高木菜那、佐藤綾乃)の体力を極力温存する戦略も功を奏し、決勝の最後にオランダの速度が落ちたのに対し、日本は追い越し引き離して勝利した。
画像また、高木菜那選手はスピードスケート女子マススタートという新種目でも優勝した。体力を温存するため、先頭には立たず、強豪のオランダ選手の後ろにぴったりと付き、最後のコーナーでオランダ選手が大きく外側に回ったところを、内側から追い抜き1位となった。(写真で2位は韓国、オランダは3位だった。)外国人コーチは、高木菜那選手を「Good Behind Starter」と言っていた。なお、菜那選手の妹の高木美帆選手は女子1500mで銀、1000mで銅メダルも獲得している。
画像男子スノーボードハーフパイプでは、平野歩夢選手が美事なジャンプと回転の技を見せてくれた。3回の演技のうちの最高点で評価される競技で、最初の2回目までは平野が1位だったが、米国のホワイト選手が最後に美事なジャンプ・回転を見せ優勝、平野選手は銀メダルだった。ホワイト選手は「平野が大きな刺激になって自分も良い演技が出来た」と述べていた。若い平野は、この先有望だ。この他、ノルディック複合ノーマルヒルで渡部暁斗選手が銀メダル、
スキー女子ジャンプで高梨沙羅選手が銅メダル、男子モーグルで原大智選手が銅メダル、男子フィギュアで宇野晶麿選手が銀メダルを獲得した。
0

横浜初雪は4年ぶりの大雪

1月22日(月)昼前から雪が降り出し、東京・横浜を含め関東地方に大雪警報が出ました。
画像
午後3時、東京都心・横浜の積雪は3cmと報道されていますが、拙宅ではその時既に8cmでした。

画像
午後6時半の写真です。都心も10cm超の積雪と報道されています。電車は本数を減らした間引き運転のため、帰宅ラッシュと重なり大混雑。地下鉄半蔵門線・東急田園都市線では、大手町から青葉台まで普段なら1時間かからないのですが、全線各駅停車で、4時半に大手町乗車し宮前平まで1時間40分間電車はすし詰め状態で当地まで2時間かかったようです。途中の渋谷駅はプラットホームが乗客で溢れかえっていても満員電車にはほとんど乗れず、改札口手前で入場制限したため降雪の屋外まで行列ができている画像が放映されていました。
画像
今朝(23日)6時45分頃の家から南方向の写真です。



画像
同時刻の東方向です。都心も我が家も20cm超の積雪でした。雪国では大したことのない積雪量でしょうが、雪に慣れない首都圏は大変。雪道登り道で大型車が走れなくなり、首都高速道路のトンネル内で10時間待ちの交通渋滞があるなど大混乱。成田空港も9000人が空港で一夜を明かしたと報じられていました。首都圏交通機関関係者の緊急時リスクマネージメントに問題があるようです。
画像
拙宅前の道路反対側に誰かが早朝雪だるまを拵えたようです。北側道路のため雪が溶けにくいので雪かきが必要です。10時過ぎには近隣も皆さん雪かきを始めたので、当方も出場。30分もすると腰が痛くなりました。家内が夜半に玄関口を雪かきしてあったので、総じてなんとか格好がつきました。
追記(2月9日):今週は寒波により北陸は大雪となり、特に福井は37年ぶりの積雪で国道8号線は大型トラック等が立ち往生し、60時間に及ぶ大渋滞となりました。
0

ならず者国家に囲まれた日本・大事な事は政策先送りの日本---2017年を振り返って(その2)

世界は混迷の中の2017年でした。
米国はトランプ大統領が就任し、オバマケア(国民皆保険制度)、TPP(環太平洋経済連携協定)、パリ協定(気候変動枠組条約)等、前政権の進めてきた政策をことごとく否定。アメリカ第一の保護政策、白人至上主義、イスラム教徒の移民制限、メキシコとの国境の壁建設等に舵を切っています。大統領選挙の時にはワシントンDCやウォール街富裕層を敵視し見捨てられた低所得層の味方のようなことを言っておきながら、実際に実行していることは富裕層の減税など既得権益に利する政策を進めています。身内のユダヤ教娘夫婦とユダヤ人社会に一方的に与し国連合意を無視するイスラエル・エルサレム首都承認・大使館移転を宣言し、それに反対する国には経済支援を止めると威嚇。ペテン師でならず者の大統領登場です。しかし、失業率が下がり株価も上昇し、米国民の4割弱(トランプに投票した人の8割)が彼を支持しているというのですから、当面何が起きるか分からない2018年です。
画像日本の西方、北方は既に国際秩序を乱すならず者国家で取り囲まれており、北朝鮮はミサイル発射・核実験を繰り返し、その軍事能力を高めています。北朝鮮金正恩が「自分の机には常に核兵器発射のボタンがある」と述べると、トランプは「自分の核兵器ボタンの方がはるかに大きく、強力だ」と切り返しており、正気の沙汰とは思えません。1年半前の日米合同軍事演習シミュレーションでは、「仮に日本の都市が北朝鮮に核攻撃され何十万人かの犠牲者が出ても、米軍は北朝鮮を攻撃しない」というものでした。日本政府は対ミサイル防衛兵器を急遽増強するべく来年度政府予算案に織り込もうとしています。
画像米国が世界のリーダーとしての国際的影響力を失っていく反面、影響力を増しているのが中国とロシアです。米国が一時シリア反政府軍に肩入れしていたのに対し、今はロシアが主導権を握り政府軍を軍事支援しIS(イスラム国テロ組織)撃退に効果を挙げつつあります。中国は「一路一帯」のスローガンのもと、中央アジア、東南アジア、アフリカまで鉄道敷設やインフラ整備、港湾権利確保等、覇権主義の本領を発揮しつつあります。南シナ海も基地化を進めています。中露は非民主国枢軸・闇ルートの要になっています。北朝鮮への経済封鎖に対しても中露が抜け穴を作り手助けをしています。
この一年我が国の政治はどうだったのでしょうか。安倍内閣は世界の中で安定した政権を維持できていると思いますが、政権が長くなると、官僚の中には人事権を有するトップ権力者の意を「忖度」して阿る不適切な行政が行われがちです。野党の追求も甘く的外れであり、7月の衆議院解散総選挙でも野党自爆自滅で自民党の勝利に終わりました。しかし、絶対多数を取っているにも関わらず、税と社会保障費の一体改革、岩盤規制緩和、農業近代化、エネルギー政策基本方針など重要課題は先送りし、本来なすべき改革は一向に進みません。
画像
12月に発表された平成30年度国家予算案です。29年度に比べ2500億円膨張し、6年連続過去最高を更新しています。税収は59兆円しかないのに歳出は97.7兆円です。中でも社会保障費が5000億円増え、政策経費の44%を占めています。「税と社会保障費の一体改革」はほとんど手付かずです。特に医療費が年々膨張していくのを止める政策を打ち出さないと、いずれ財政は破綻します。また、相変わらずのバラマキも顕著です。この図表に示されていませんが、29年度補正予算2.7兆円の内、農林水産省が4600億円、このうちTPP関連農業対策に3170億円が計上されています。TPPで農家は収入で損は生じないのに農水省と農林族議員の圧力によるバラマキです。酪農農家、養豚農家の平均所得はそれぞれ1200万円、1500万円です。自由化しても価格は下がらず、消費者に高い財政負担が加わるだけです。今のままでは若者は将来に希望が持てず、世界における日本の位置は低下するのみに思えます。
0

正月風景と平家琵琶語り

明けましておめでとうございます。
正月風景の写真です。
餅つき、初夢(富士山)、初詣(曹洞宗・箱根長安寺)、新年祝賀会における平曲琵琶語りです。
画像
画像
1月3日の御殿場乙女峠からの富士山です。
画像
輪を潜った後、参拝すると厄除けになるのだそうです。
画像
荒尾努氏による平家琵琶の語り演奏です。平家物語は元来琵琶という楽器を伴奏とし、盲目の琵琶法師によって語り継がれてきましたが、江戸時代中期からは目明きも継承するようになったそうです。また文字として抑揚も記された教本が作られ、現在に至っています。平家滅亡の歴史を語る平曲は二百曲あり、昭和20年頃全曲を語れるのは仙台の館山甲午氏1人になってしまったそうです。国語学者金田一春彦氏が伝統的な平曲を館山氏から継承し、荒尾氏は金田一氏とその弟子の須田氏に師事、現在平曲琵琶継承者は数名しかいない貴重な日本の伝統文化となっています。彼は38歳、三菱重工業に勤務しながら、全国の神社仏閣、教育機関、TV等年間50回くらい演奏・講演活動を行なっているとのことです。今回は、「祇園精舎」「敦盛最期」「那須与一」「先帝入水」の一部を語り聞かせてくれました。
0

製造業の凋落---2017年を振り返って(その1)

今年は一流と考えられていた大企業で続々とデータ改ざんや品質のごまかしが発覚したり、大型プロジェクトで大きなトラブルが発生する等、長年に渉って築いてきた日本製品への信頼に揺らぎが生じた一年でした。以前製造業に身をおいていた一員として何故こんな事になっているのか考えてみたいと思います。
25年前の1992年の我が国製造業従事者は1569万人で全産業従事者の24%を占めていました。直近のデータ(2016年)の製造業従事者は1041万人、全体の16%です。国際競争の中で、物作りの工場が中国や新興国にシフトされ、企業は合理化を迫られ人員を減らしてきたのです。また、経営の手法もグローバリゼーションの名のもとに短期的な利益を求められる傾向にあり、各部門に課せられる業績目標も厳しくなります。トップの意向に逆らえず、現場の問題点が経営に伝わらない、社内のコミュニケーションも悪くなる悪循環が生じているのではないかと思われます。製造業は本来長期的な視点に立って、新技術や新製品の開発に向け、物になるかどうか分からない研究も許容されていたのですが、最近は「集中と選択」の名のもとに芽が育つ前に切り捨てられ、新技術は必要な時に他者から( M&A--会社買収も含め)買えば良いではないかといった風潮も見られるようです。製造業が新しい事への意欲が減退すれば、特許出願数も減ってきます。かつて、特許出願で日米がトップ争いをしていましたが、今年は中国に水を開けられています。
画像
このグラフは、産業別従事者と従事者一人当たりの平成27年の賃金をグラフにしたものです(出所は総務省と国税庁の公表データ)。過去20年の間に、製造業の従事者は415万人減り、建設業も170万人減少、一方、医療福祉従事者が450万人、サービス業が120万人増えています。20年間1人あたりの国民平均所得が増えない、或いは経済格差が広がっていると言われています。一人あたりのGDPは20年前ルクセンブルグ、米国についで世界3位でしたが昨年は18位に下がっています。日本人の一人あたりの平均賃金が増えないのは、給与が平均より高い製造業の人員が減り、賃金の安い医療福祉やサービス業の割合が増えているためです。製造業では、初任給は低くても、入社後能力向上に伴い確実に賃金も増えていきます。医療福祉やサービス業で昇給の期待できない給与体系の改革や非正規雇用者の正規社員化も大きな課題ですが、中産階級を増やすには製造業が頑張らなければいけないのです。
日本が科学技術・製造業で未来を開くには、長期的視点、皆が前向きに意欲を発揮するような組織と経営、そして新しい事への研究費・設備投資を積極的に行うことが必要です。政府・民間を含めた研究開発投資額は、日本が過去20年横ばいなのに対し、米国は日本の3倍、中国は2,5倍と言われています。
来年は、我が国の科学技術と製造業が復権する年であって欲しいと思うのです。
0

箱根ガラスの森のサンタクロース

箱根ガラスの森のサンタクロースです。
画像
背景は大涌谷の噴煙です。前の晩に降った雪が山筋に残って見えます。(12月18日撮影)
画像
画像





画像
サンタクロースは、1ヶ月前には駐車場の隅で待機中でした。



画像
ガラスの森美術館では、ヴェネチアングラス製のイエス誕生のシーンを展示中でした。
前日午後東名高速御殿場から箱根へ車で登ってきた時、雪がチラチラ降ってきた程度だったのですが、一晩明けると国道138号線は乙女峠から御殿場までチェーン装着規制されており、仙石原から箱根湯本・小田原経由で帰ってきました。
0

地元のつつじが丘小学校創立50周年

画像
今日(11月25日)、地元の小学校の創立50周年記念行事が学校の体育館で行われました。この地域は東急田園都市線が開通する昭和41年頃からの新興住宅地で、生徒数急増に合わせて、ここから2.5km離れた創立143年の田奈小学校から昭和41年に仮説校舎の分校として発足し、昭和43年に「つつじが丘小学校」として独立開校したのでした。
画像
昭和41年分校当時は児童数142人、職員数7名、教室数9だったそうです。図表は開校からの児童数の変遷を示します。開校当時は、青葉台・桜台・藤が丘もカバーする広い校区で、児童数が1600人を超える時期もありましたが、昭和46年、49年、52年、平成4年に新しい小学校を分離独立させ、現在は児童数500人前後で推移しています。
画像
児童の記念行事は今週済ませており、今日は地域、 PTA、学校職員合わせて110名ほどで式典と祝賀会が開催されました。来賓祝辞として初代PTA会長が開校当時の思い出話をされました。アトラクションとして、地域の若手ウクレレ歌手(HACHI、真ん中の白服、も1人はパーカッション )の最後のステージでは、小学校の先生方がベース、サックス、エレキギター、バンジョー、ピアノに飛び入りで加わり場を盛り上げました。画像をクリックすると拡大しますので是非見てください。
画像
これは、小学校1年生の作品です。
0

箱根の秋---紅葉・コンサート

一昨日(11月19日)の日曜日、天気が良かったので箱根を散策しました。標高が高い駒ケ岳や大観山は紅葉が終わっており、麓の箱根湯本は紅葉が始まってなく、強羅・小涌谷・仙石原などが紅葉真っ盛りでした。
画像
小涌園から庭続きの蓬莱園の紅葉です。
画像




ガラスの森美術館の紅葉とクリスタルのクリスマスツリーです。後方に大涌谷の蒸気噴煙が見えます・
画像

仙石原にある曹洞宗長安寺境内・五百羅漢と紅葉です。

















画像
仙石原の箱根ハイランドホテルからの景色です。背後の金時山(標高1213m)は当初もっと巨大な火山でしたが、手前側が崩れたことによって現在の姿になったとのことです。それでも箱根外輪山の最高峰であり、坂田金時(金太郎)や頂上の金時娘(小宮山妙子さん84才)が70年前から経営する金時茶屋で有名です。
画像
たまたまガラスの森美術館のホールでベニスセレナーデデュオがクラシックやタンゴを演奏していました。
画像
約30年前から「箱根の秋・音楽祭」が11月に開催されていましたが、その流れをくむ室内楽コンサートが仙石原文化センターで開催されていました。東京ハルモニア室内オーケストラのメンバー4人と若手クラリネット奏者福島隼人氏による演奏で、チャイコフスキーの「アンダンテカンタービレ」やモーツァルトの「クラリネット五重奏曲」など馴染みのある曲が演奏されていました。定員七百数十人の会場に7割の入りでした。もっと宣伝すればよいのに!
家内からは行事詰め込みすぎの1日だったとクレームあり。
0

明石天文台・柿本神社・芭蕉句碑

画像明石天文台は東経135度の子午線上に位置しランドマークにもなっています。
写真の後方の丘は人丸山で柿本神社(別名---人丸神社)があります。
画像




柿本人麻呂は飛鳥奈良時代の宮廷歌人ですが、柿本神社は887年に非業の死(水死?)を遂げた人麻呂の怨霊を慰める為に建立されたと言われています。柿本人麻呂が明石を詠んだ和歌に
あまさかる ひなの長道ゆ 恋ひ来れば 明石の門より 大和島みゆ
があります。
写真の右手に「盲杖桜」と呼ばれる桜があります。その昔一人の盲人がこの社に詣でて
ほのぼのと まことあかしの 神ならば われにも見せよ 人丸の塚
と詠じると、たちどころに両目が開いて物を見ることが出来るようになった。その人は光明をえた喜びのあまり社前の庭に桜の杖を献じて去って行った。その杖に枝が生じ葉が茂って、春になると花を咲かせたので盲杖桜と呼ぶようになったそうです。
画像

境内には松尾芭蕉の句碑があります。1688年数え年45才で、芭蕉は須磨明石を訪れたのでした。
蛸壺や はかなき夢を 夏の月
奥の細道の旅に出る前年ですが、芭蕉にとって明石は西の端に来た印象だったのだと思われます。
写真の左に丸いドーム状に見えているのは、明石天文台(天文科学館)プラネタリウムの屋根です。
画像この丘の上からは、明石海峡と淡路島が展望できます。近くにはJR山陽線と山陽電鉄が並行して走り、神戸と姫路を結んでいます。
0

富嶽四景

昨日と今日撮影した富士山の写真4枚です。写真は2度クリックすると拡大してご覧になれます。
画像
山梨県山中湖パノラマ台からの写真です。富士山は初冠雪が既に観測されていますが、多分風に飛ばされ、北側の山頂付近に僅かに雪が覗めます。
画像
同じく山梨県本栖湖からの写真です。千円札でおなじみの場所ですが、手前はドウダンツツジです。
画像
神奈川県芦ノ湖、箱根恩賜公園からの写真です。
画像
静岡県御殿場市街を眺める乙女峠からの写真です。
0

福島第一原発事故は何故起きたのか---これまでに分かったことと教訓

原子力発電再稼働に反対する人は「福島原発の事故検証と総括が終わっていないのに再稼働すべきでない」と言う。事故から6年半、事故原因究明と検証には多くの専門家が関わり、事故を再発させない安全規制基準も出来ており、対策が十分取られ、新基準を満足している原発は、速やかに再稼働させた方がよいと思うのだが。
また、事故を起こした沸騰水型(BWR)と異なる炉型の加圧水型(PWR)原子炉では、福島と同じ条件の津波、全電源喪失に遭遇しても、福島で生じたような炉心溶融や水素爆発、外部への多量な放射性物質放出といった事故は起きない旨、福島事故後、関西電力などは原発拠点の福井県に説明し、福井県の住民に不安や混乱は生じなかったのである。ここで、福島第一原子力発電所の事故は何故起きてしまったのか、振り返ってみたいと思う。

2011年3月11日、東日本大震災で東京電力福島第一原子力発電所は、1~3号機で原子炉燃料が溶融し、1、3、4号機では水素爆発を起こし、外部に多量の放射性廃棄物を放出させ、近隣町村の住民が避難を余儀なくされた大事故を発生させた。被害の責任は東京電力にある人災とされている。同様に地震と津波に襲われた宮城県の東北電力女川発電所や茨城県の日本原電東海第二発電所、同じ東京電力の福島第二発電所は同様に運転中だったが、運転を円滑に停止し事故を起こさなかった。どこに違いがあり、福島第一原発は何が間違っていたのだろうか。
(1)大津波の予測
2002年に文科省の地震調査研究推進本部が「三陸沖から房総沖の海溝沿いにマグニチュード8クラスの地震が発生する可能性がある」 という見解を出し、その後、幾つかの論文も発表されたようだ。これらに基づき、東京電力が福島第一について2006~09年に試算した結果は津波水位8.7~9.1m。高さ10mを超える津波発生頻度は10万年から100万年に1回程度と試算したが、計算手法は開発段階であり、東電として福島の発電所が実際に津波に襲われる頻度を表したものとは認識しなかったようだ。なお、東海第二発電所は、震災前に茨城大学の津波専門家の指摘を受け、ディーゼル発電機(DG)冷却用の海水ポンプの扉に水密工事を行なっていた。また、女川発電所は、建設当時東北電力の判断で、より高い場所に設置した(震災時は地域住民の避難場所になった)。
(2)発電所浸水情報への対処
1999年フランスの原子力発電所が洪水で発電所の地下レベルの電気室が浸水し補助電源が24時間喪失したことは公知の情報だった。津波のリスクに対し、バッテリーやDG等の非常用電源の安全性向上対策を行っておれば大事故は回避できたと考えられる。国内でも過去に台風時の高潮による浸水で火力発電所地下のモーター・電気品が没水した事例がある。
(3)電気盤、非常用DG等安全機能維持に必要な設備が地下に設置されていた
福島原発を設計した米国GE・エバスコは、米国で頻発する竜巻対策として、安全機能を確保するために必要な設備を地下に配置するレイアウトにしたようだ。国情の異なる日本の海岸沿いに設置された発電所で、建設以来40年間水没リスクを検討・対策しなかったのは残念だ。
(4)全電源喪失や原子炉燃料溶融事故といった過酷な事故への対策や訓練がなされていなかった。
深層防護という考え方がある。最善の対策をしたつもりでも、それがうまくいかなかった時には次の代替策を実施する。原子力の場合、五重の防護策を実施するべきだったのだが、我が国では三重までは安全審査の対象であり、炉心が溶融する事態、周辺住民が避難する事態への対応は事業者任せになっていた。四重目、五重目は大事故を意味するので、東京電力の場合、周辺住民に不安を与えるのではないかとの慮りから実施されていなかった。3.11事故で水素爆発を起こし、収束が遅れたのは、真の深層防護対策や訓練がされていなかったのが要因なのだ。
こうして(1)(2)(3)(4)を見てくると、3.11事故は東京電力に一次的責任があるとはいえ、国(政府)にも相当落ち度があったように思われる。

以上の東電福島事故の教訓を踏まえ、新しい安全規制基準が決められ、各発電所の実情に合った安全審査がなされ、現時点で12基の原子炉が審査に合格し5基が再稼働しているのである。これらは全てPWRだが、現在BWR最新鋭の柏崎刈羽6、7号機がほぼ合格状態と言われている。
画像写真のように大がかりな津波対策や、炉心溶融事故の場合でも外部に放出する放射性物質を千分の1以下にするフィルターベントが具備されている。新潟県知事は「福島事故の検証にまだ3、4年かかる」と言っているが何を更に検証するつもりなのか?東京電力管内の電気料金を元に戻してもらうためにも、基準を満足し、深層防護対策がなされた原発は早く再稼働し欲しいと思う次第である。
画像
0

福島原発事故と福島復興、そして福島住民の嘆き

東日本大震災から6年半。福島原発事故による住民避難区域の除染作業も進み、今年4月には、福島第1原発に近い大熊町・双葉町を除く全ての居住制限区域・避難指示解除準備区域の避難指示が解除され住民の帰還が可能になりました。避難区域は事故当時、福島県の12%を占めていたのが、順次7%→5%→3%と縮小し、避難者も減少しつつあります。帰還困難区域も居住は出来ませんが、大部分が立ち入り可能になりました。福島第1原発敷地内の汚染水も対策が効果を挙げ、廃炉も実行の段階に移行しつつあります。下の図(資源エネルギー庁作成)はクリックすると拡大し見やすくなります。
画像
一方、福島復興は着実に進みつつある半面、「進まぬ帰還」「根強い風評被害」など多くの課題が残されています。このたび、福島の実情についてのシンポジウムで福島民友新聞(社長・編集主幹)や相馬中央病院医師の話を聞く機会がありました。事実が正しく県外・国外に報道されていない面が大きいとご両人は嘆いておられました。
<具体例1>一昨年の記事ですが「どこが収束か、事故5年目を迎える福島事故が奪った村」と題して草が生い茂る中に車両が並ぶ写真と共に「人が乗り捨てて逃げた車が4年半の歳月を経て草に覆われていた」と添え書きされていました。実はその場所は原発事故前から廃車の処分場だったのだそうです。被害をことさら強調したいがために、地元の人に確かめることもせずに記事にしたと思われます。
<具体例2>「おまえたちが笑顔では困る。泣き悲しんでいないといけないんだ。」NPOハッピーロードネット(広野町)は、こんな中傷の電話を県外の男性から受けたそうです。高校生らが自分の生活圏の通学路のゴミを拾っていると、「子どもを被曝させる殺人者」などと国内外から活動を批判中傷するファックス・メール・電話が殺到しました。
福島住民当事者からは、「反原発活動家は、福島が復興して欲しくない、事故当時のままにしておきたいと考えているようだ」「反原発活動に、福島をおとしめるような利用はして欲しくない」との声が強いようです。
画像<具体例3>福島県産米は、全量・全袋検査され出荷されています。この事実が報道されることはありません。前述のように福島県の97%は安全なのに、メディアが福島に来ると3%の地域を取材し、食品を含め安全な事を報じない、従ってこのような努力は県外では殆ど知られていないということのようです。美味しい米も買いたたかれ業務用に重宝されているそうです。また、福岡市にある生協が復興支援キャンペーンと称しながら、東北6県のうち福島県のみを除外し「東北5県」として紹介、差別の助長につながりかねないと嘆いています。
<具体例4>誤解を与える報道が国内外に悪い影響をあたえています。今年3月福島第1原発2号機内部の調査に着手し「原子炉格納容器内の線量は推定で最大530シーベルト」と発表しました。高線量の数値は核燃料が溶け落ちた格納容器内の線量であり、核燃料容器外では線量の変化はなく、発電所から周辺に出る放射性物質は発電所敷地の線量評価で1mSv/年以下のレベルに下がっているにも関わらず、「福島の放射線が今、過去最高のレベルに達している」と海外でも報じられ、輸出や観光にも影響がでているようです。
<具体例5>昨年、韓国の文大統領が「福島原発事故で1368人が死亡した」と言及したことがあり、東京新聞などがこれを引用しました。韓国格安航空会社は福島事故影響を理由に福島空港と仁川を結ぶチャーター便の出発地を仙台空港に変更しました。福島空港の放射線量はソウルと変わらないのに。千人を超える死者の数字は、避難後体調を崩したり、病院が機能停止した等の原因で亡くなった岩手、宮城、福島3県合計の震災関連死の方々の数で、放射能・放射線による直接死はゼロです。また、追跡調査で住民の被曝量は最大38mSvで「健康被害が出るレベルでない」ことは、医療関係者及び国際機関IAEAが認めるところとなっています。
正しくない報道が海外にも拡散し、根強い風評被害になっているようです。
避難者へのイジメを廃し、福島県産品を正しく評価し流通して欲しいとあらためて思った次第です。

0

原子力発電廃棄物は本当に「トイレなきマンション」か?

「反原発」「脱原発」の理由の一つとして、「原子力発電使用済燃料の最終処分の行き場所がない」が挙げられています。この問題は、原子力発電を始めた1970年代から研究が進められ、技術者(原子力、化学、金属、土木、---)、地質学者、地震学者等幅広い専門家による調査・実験・解析や試作、米・仏・英・独・典、加等の研究機関との国際協力を経て、日本の研究機関が纏まって、それまでの成果を「2000年レポート」として発表しました。以来20年弱、最終処分の方法は技術的に既に確立されているのですが、それを国民に理解し納得して貰う技術が不足しているようです。
画像原子炉からの使用済燃料は、再処理工場で有用な燃料物質と廃棄物を分離し、高レベル放射性廃棄物のみを高温のガラスの結晶の中に溶け込ませ「ガラス固化体」にします。フェニキア等のガラス製品が数千年を経て地中海で発見される等、ガラスは溶けたり腐食したりしにくい安定した物質だからです。
画像ガラス固化体は金属容器に納めた上、地下深い場所に隔離されます。岩盤と容器の間の緩衝材にベントナイト(粘土)が使われます。ベントナイトは放射性物質等を吸着し周辺の地下水に溶けるのを防ぎます。
既に原子力発電所から出る低レベルの放射性廃棄物はコンクリートピットにして日本原燃(株)低レベル放射性廃棄物埋設センターで浅地中処分が進められていましたが、高レベル放射性廃棄物についても「ガラス固化体にして、人工バリアと天然バリアの組み合わせによる地層処分」が我が国においても最も適した最終処分の方法であるとして、政府は「地層処分は研究段階から実施段階に入ることが適切」と判断し、2000年に「最終処分に関する法律」を国会で制定したのでした。
画像放射能は年が経つと、その強さが減衰します。初期は人が近けない高い放射能を有していますが、千年もすれば、短時間人が近づいても問題とならないレベルになり、数万年すれば元の天然ウランレベルに下がります。「数万年、人間による管理が必要だ」という人がいますが、「管理」は必要なく、地層処分は管理しなくても人間生活領域から隔離閉じ込める役割を果たすのです。なぜ深い地下を選ぶのか----地下は地震などの影響を受けにくく、地層や地下水の動きも小さいためです。
画像平成12年(2000年)に処分事業主体として原子力環境整備機構( NUMO)が設立され、翌々年から最終処分施設の設置可能性を調査する候補地の公募を始めました。高知県東洋町のように手を挙げた地方自治体もあったのですが、知事をはじめ周辺市町村の反対で白紙撤回されました。当時の高知県知事(橋下大五郎氏)は「自分は原子力が嫌いなわけではないが、政府の態度が無責任」と語っていました。NUMOのような民間団体では長期的な信用をして貰えず既に15年が経過しました。政府は方針を変え、政府が前面に立つことにしました。今年7月地層処分に適した候補地になりうる場所を緑色で示すマップを公表しました。火山の周辺や断層、隆起などの見られる場所は除外していますが、地層処分に適合しうる土地が広く存在するとしています。このうち、海上輸送も考慮し沿岸から20km程度を濃いグリーンで示し、対象となる約900の市町村に説明をし、候補を絞ってゆく考えのようです。なお、東京は地下にガス田があるので対象外とのことです。
画像福島原発事故の除染土壌の中間処分地でさえ、なかなか場所が決まらない現状では、処分地を受け入れてくれる候補地探しは大変だろうと思います。海中処分は国際的に禁じられていますが、陸から斜坑を掘って海底から更に深い場所などは、今後検討の余地があるだろうと考えられています。
画像海外での最終処分の進捗状況を示します。使用済燃料を再処理せず直接処分する国と、再処理して高レベル廃棄物のみをガラス固化体にして処分する国の2通りがありますが、最終処分を深地層処分する方法は国際的にほぼ共通です。また、今回は述べませんでしたが、半減期の長い物質に中性子をぶつけて半減期の短い、或いは安定した物質に変換する技術が研究されており、実現すれば、数万年の隔離期間を数百年に短縮できることになります。その一部の試験を高速炉「もんじゅ」でも行うことになっていたのですが、「もんじゅ」が廃炉になり残念なことをしました。
画像写真は日本原子力機構が北海道幌延で地下数百mの研究施設を作り、工法、模擬燃料の発熱による周辺岩盤強度への影響、地下水挙動、生態系に及ぼす影響などを約15年にわたり調査・研究を続けている様子です。
0

原子力発電のリスクと原発ゼロのリスク---実現可能な方策は何なのか

小池百合子都知事が率いる「希望の党」は政策の一つに「2030年までに原発ゼロ」を掲げている。
最初は、「原発なしでゼロエミッション(CO2排出ゼロ)を目指す」と目標を掲げた。即ち、再生可能エネルギー(太陽光、風力、水力、地熱、バイオ等の自然エネルギー)100%を目指すというのだ。現在猛烈な勢いで太陽光発電が伸びているが、それでも我が国の全発電量に占める太陽光発電の割合は5%だ(在来水力や風力等を含めても再生可能エネ比率は現在15%)。(以下の図はクリックすると少し拡大します)
画像高額の固定価格買取制度のため、毎月の電力料金請求書を見ると、今日時点で10%を超える賦課金が上乗せ徴収されている。
本来kWhあたり20円前後の電気料金に対し、40円前後で買い取っているせいだ。太陽光発電買取価格は20年保証されている。今後の買い取り契約は価格を順次下げていくようだが、それでも再生エネルギー比率が25%近くになると再エネ買取費用は4.7兆円を超えるという試算だ。これは消費税率約2%に相当する金額で、国民(消費者)の負担が増えることになる。さすがに小池氏も再エネ100%は非現実と気がつき、最近は「2030年に原発ゼロ、再エネ比率30%」と言い変えた。それでは、残り70%は化石燃料(石炭、ガス、石油 )を燃やして発電することになる。日本は地球温暖化対策として、2030年までにCO2を26%削減すると国際約束しており、現政策では「約2割の省エネをした上で発電に占める化石燃料割合を5割強に抑える必要がある」としている。従って、「希望の党」は地球温暖化への国際協力を全く無視することになる。
画像真面目に考えれば、安定した電力供給、電気料金、地球温暖化対策を満足する答えは原子力無しには実現不可能に思われる。図は、現行のエネルギー基本計画による電源構成を示す。
しかし、一方で福島の事故を考えると「原子力は怖い。安全と言われても安心できない。原子力に頼りたくない」との世論も強い。真剣に考えれば、エネルギー政策の中で「リスク全くゼロ」の選択肢は無いように思われる。リスクを極力小さくして国民負担の小さい選択をすべきなのだと思う。一緒に考えてみませんか?

反原発の声1「原子力無しでも電気は足りているではないか」
実情「東日本大震災直後は東日本で電気が足りなかったが、需要に応えるため猛烈な勢いで電源を増やした。主に石油とLNG火力、建設期間は少し長くなるが最近は石炭火力も増やしている。また、需要の最大は真夏の気温が高い時期なので、企業や工場に夏休み休業など節電を呼びかけた結果で、ピーク需要を抑制している現状だ。
画像
この間、発電が化石燃料に依存する割合は震災前の約6割から9割弱に増え、これらの殆どは輸入なので一時期毎年3兆円を越す燃料の買い増しを行ってきた結果、家庭電力は震災前に比べ25%、産業用は約4割電気料金が高騰したのである。最近は原油(連動してガス)価格が下がっているが、それでも昨年は1.6兆円の買い増しになっている。
家庭向けは我慢するとしても、エネルギーを使う産業は国際競争力を失っている。」

反原発の声2「福島事故の検証が済んでない。また同じ事故が起きる可能性はゼロではない。」
反論「福島事故調査は、政府事故調、国会事故調、学術会議、東京電力、原子力学会等が夫々原因調査報告を出した。事故記録や証言を分析し、事故要因を示し、全体に津波への配慮がなされていれば避けられえた事故とする中で、国会事故調だけが「津波の前に地震で重要部位が破損した可能性がある」と述べた。その後の専門家による詳細な追跡調査により、地震そのもので安全施設に関わる破損した事実はなく、津波により非常用電源や電氣盤、冷却ポンプ等が機能不全になったのが要因と結論づけた。」
画像
福島事故を教訓として津波・地震等の自然災害、炉心溶融等の過酷事故への対策を強化した新しい安全規制基準が2013年に示され、原子炉の炉心溶融は99.99%避けられるものとした。また万一、炉心溶融事故が起きても外部に放射能被害が及ばないような各種対策が義務付けられた。この基準をクリアした原子力発電所が現在5基既に再稼働しており、合格した原子炉は順次再稼働する。(図は新規制基準に合格した高浜発電所の対策例)

更なる反原発の声3「99.9999%安全と言っても、少しでも不安要素があれば安心とは言えない」
意見「リスクを最小限にした上で、それを人知と技術を尽くして回避していくべきなのではないか。
原発ゼロにした場合のリスクは、原発のリスクよりも、より大きいのではないでしょうか。
気候変動問題一つにしても、更なる地球温暖化は、過酷な自然現象を生じ、地球規模の砂漠化、台風・洪水等の過激化、生態系の変化はより何万人、何十万人もの犠牲者(死者)や健康被害がを生じると言われている。」
画像また、太陽光や風力発電は発電している時間が短く稼働率が低いので、総発電量で勝負するには最大需要の数倍の設備が必要であり、また、天候に左右されるので、バックアップ電源が待機している必要があり、電力の品質を保つには不安定電源の割合は25%程度以下に抑えるべきとの意見もある。」

政権を目指す政党は、単なる思い付きや耳障りの良いキャッチフレーズでなく、中長期を見据えた、後々後悔しない真面目な政策を提示して欲しいと思って意見を述べた次第です。
0

黒四発電所と黒部ダム見学

画像先週、黒部ダムと黒部第4発電所を見学するツアー(エネルギー環境問題を勉強する団体(EEE会議)主宰)に参加する機会を得ました。前日は宇奈月温泉に宿泊です。写真は富山地方鉄道の終点・宇奈月温泉駅前通りです。
画像
宇奈月温泉付近は遊歩道が整備されており、途中、次の日に乗車する予定の黒部峡谷鉄道のトロッコ列車が、黒部川にかかる長さ166mの新山彦橋にさしかかった写真です。

画像黒部川に沿って、流域の発電所やダムへの保守作業等に関わる従業員輸送のため関西電力子会社が運営する黒部峡谷鉄道は、終点の欅平まで一般の観光客も利用できます。黒部峡谷鉄道は長さ20.1kmの間にトンネル41箇所、橋21箇所あり、1時間15分の行程です。この鉄道は冬季は運休なので、黒四へのアクセスはその間、信濃大町経由になります。






画像
黒部川水系を利用した水力発電所は12箇所あり、総発電出力は90万1千kWです。写真の円筒型の建物は、宇奈月を出て次の停車駅に隣接する新柳原発電所(出力4万1千kW)です。
画像

欅平から上流の仙人谷まで河川は24分の1の急勾配(標高差250m)のため、欅平駅の竪坑エレベーターで200m上り、上部専用鉄道に乗り換えます。この説明図は2回クリックすると拡大します。
画像このトンネルは、黒部第三発電所の取水口がある仙人谷ダム建設のため、昭和14年に作られた輸送ルートです。黒部第三発電所の建設工事は日本電力株式会社によって昭和11年に着手されましたが、特に黒部渓谷上流の仙人谷と下流方向の阿曽原谷付近までの全長904mの軌道トンネルを開通させるのに2年4カ月かかる難工事でした。
画像このトンネルは”高熱隧道”と称せられるように、工事中約500mにわたり岩盤温度が160℃を超える高熱地帯に遭遇し、ダイナマイトが着火前に爆発した事故、火傷等で200名を超える犠牲者を出したのです。更に泡雪崩と称する爆風を伴う雪崩で宿舎が引きちぎられ580m離れた谷を隔てた大岩壁に激突する惨事で死者が84名にのぼる等、全工区で300名を超える犠牲の後、黒部第三発電所建設工事は昭和15年11月に完工したのでした。上部専用鉄道は全長6.5kmのトンネルを約30分で走り抜けますが、現在でも仙人谷に近い高熱地帯では、空気の温度が40℃になり、岩壁には硫黄がべっとりと貼りついています。吉村昭の小説「高熱隧道」に難工事の様子が詳述されています。
画像鉄道の終点が黒部第四発電所です。国立公園内なので発電所は地下式で、黒部ダムから有効落差545mの水路を経て4台の水車に水が送られてきます。4台の総出力は最大33万5千kWで、1号機の発電開始は昭和36年でした。
画像
写真は1号機のランナー。高落差に適したペルトン水車です。直径3.3m、重量12ton、回転数360rpm、ステンレス鋼の一体鋳物だそうです。

画像
黒部トンネルの作廊側(標高1325m)と発電所(標高869m)とを接続する軌道インクラインです。傾斜角度34度、斜距離815mを20分かけてケーブルカーが上下します。巨大な水車や発電機を発電所に輸送するため積載重量は25tonです。









画像
インクラインの次は関電のバスに乗ります。黒部ダムまで10.3km、45分の行程です。トンネルの途中には、掘削工事中に出た岩石を排出する横坑があります。バスを途中下車して横坑から外の景色を見に行きます。
画像
剣岳(高さ2998m)の勇姿が現れました。目の前の雪渓は、日本では珍しい氷河だそうです。

トンネル内のバスターミナルを出ると黒部ダムです。昭和38年、7年の歳月と述べ1千万人の労働力をかけて完成した日本最大のアーチ式ダムです。高さ186m、堤長492m、貯水量2億トン、北アルプスの雪解け水を貯水しています。6月末から10月中旬まで観光放水しています。黒部ダムは、黒部第四発電所のためだけでなく、黒部川水系の他の水力発電所の出力も増加させました。このダムの完成前の黒部川水系の発電能力は約28万kWでしたが、前述の如く90万1千kWの発電能力を持つようになったのです。黒部水系の全水力は富山市にある運転管理室から制御されています。
画像

画像長野県側の扇沢から黒部ダムを結ぶ関電トンネルは、昭和31年8月に工事を開始しましたが、滝のような水と、砂のような岩石が溢れ出す破砕帯に遭遇し、80mの破砕帯を突破するのに7ヶ月を要する難工事でした。映画「黒部の太陽」に苦闘の様子が描かれています。昭和33年5月に全長5.4kmのトンネルが全面開通しました。破砕帯の場所は、青い看板でその区間が示されています。現在、関電トロリーバスが6.1kmを16分で結ぶ大切な交通機関になっています。扇沢からは、信濃大町まで18km、40分の行程。JR大糸線信濃大町駅で解散でした。
0

アドリア海エーゲ海クルーズ---コトル/オリンピア

画像カタコロンの港から約20km離れたオリンピアを観光します。オリンピア入口は糸杉とオリーブの木で囲まれています。この地は、ゼウス神の聖なる巡礼地であり、古代オリンピックの会場となったのです。オリンピックは紀元前776年から4年毎に紀元393年迄293回開催されています。394年ビザンチン皇帝テオドシウス1世によってオリンピックは禁止されました。昔の神々への信仰を禁止したのです。古代オリンピック競技は、短距離走、格闘技、レスリング、円盤投げ、槍投げ、競馬、戦車競争等戦争に役立つ種目です。競技者は男だけ、公平を期すため全裸です。起源はピーサ王がアポロンの神託を受け、戦いをやめ、競技会を始めたという説が有力とのことで、4年に1度というのは、優れた若者の発掘に適した間隔と考えられたようです。
画像
画像

入口を入ると右側はギムナシオン(体育練習場)跡、左は迎賓館跡です。競技の勝者だけが接待を受けました。優勝者は出身ポリスで一生厚遇されたそうです。更にまっすぐ進むと左にゼウス神殿があります。写真は今と昔の姿です。神殿にはゼウス像が祀られていましたが、ローマ時代、ローマ皇帝カリグラは自分の顔と取り替えたそうです。
画像
画像

ヘラ神殿です。ゼウスの妃ヘラを祀る神殿ですが、紀元前7世紀に建てられ、ギリシャに残る神殿で最も古いそうです。近代オリンピックの聖火は、この建物の横で太陽光を集め点火されます。
画像
フィリペリオンです。紀元前4世紀、マケドニア王フィリッポス2世が戦勝を記念し建て奉納した円形の建物ですが、完成はアレキサンダー大王の時期でした。



画像
画像

スタジアム入口の通路だったアーケードの一部が残っています。このスタジアムは紀元前4世紀中頃に造られました。石のスタートラインからゴール迄長さ192m、5万人の観衆が収容できたそうです。
画像このオリンピア地域は、紀元522年と551年の大地震で破壊されました。後者の地震の際、アルフェイオス川の大洪水で厚さ5mの泥に埋まっていたため保存状態が良かったとのことです。1874年以降発掘が開始され、復元作業が進められています。
0

アドリア海エーゲ海クルーズ---サントリーニ島

画像サントリーニ島(正式名はThira)は、エーゲ海キクラデス諸島最南の火山島で、天気が晴れて澄んだ日には南にクレタ島が見えるそうです。過去何回も火山の爆発が繰り返された結果、今のような三日月形の島になったとのことです。
特に紀元前1500年頃に起った大噴火で島の中心部が陥没し現在の形になったとされています。この島に文明をもたらしたのは、紀元前3000年頃、クレタ島から移り住んだクレタ(ミノア)人と考えられています。

画像大噴火によって歴史の舞台から姿を消しましたが、島の南西端のアクロティリ遺跡は噴火以前に栄えた姿を残しており、貴重な文化遺産です。1930年代の始め、クレタ島には火山が無いのに、紀元前数百年以前に火山特有の石で作られた高い技術の文物がクレタ島にあることを発見した考古学者が、火山島であるサントリーニ島から来た物であり、そこに高い文明があった筈だと主張しましたが、当時は信じてもらえず、第2次大戦後本人が中心となって基金を集めて1967年本格的に発掘を始め、古代都市の遺跡を発見しました。現在も調査が進められています。深く火山灰に覆われていたため先史時代の遺跡で最も保存状態が良いと言われています。女性ガイドが写真をかざしている鮮やかな色彩のフレスコ壁画や2階建/3階建の建築物、道具などが次々に見つかっています。
画像
画像
写真左はオリーブの樹が高熱で燃えた跡から再現された物、写真中央は机と椅子です。ポンペイは2千年前ですが、こちらは更に1500年前の文明です。大噴火前に1年間地震が続いたため人々はクレタ島に逃げたので、ポンペイのような人間跡の空洞はありませんでした。紀元前4世紀プラトンによる”アトランティスは地中海の西の端にある美しく豊かな土地だった。この理想国家は大地震と洪水により一昼夜で海中に没してしまった”との記述は、紀元前15世紀の大噴火に伴う大地震・大津波で壊滅したサントリーニ島の事ではないかとの学説が生まれています。
画像
画像
島の北端のイア(Oia)は白い壁の家々と青い屋根の東方正教会が崖に階段状に建っています。











画像
サントリーニ島中心部のフィラ(Fira)の町です。中央に白いドームの東方正教会大聖堂が見えます。火山の古い火口と断崖の上に多くの建物が建っています。最近では、1956年に大噴火があり、フィラやイアの街の大部分が崩壊し、その後、町並みが再建されました。
画像
通りの海側には、斜面にへばり付くように眺望の良いレストランが軒を並べています。
0

アドリア海エーゲ海クルーズ---モンテネグロ・コトル

クルーズ3日目、2番目の寄港地はモンテネグロのコトルです。
画像モンテネグロ(黒い山)の名は、黒い岩山を見て、或いは黒い森を見て名付けられたのだそうです。この国は広さ福島県ほど、人口62万人、その30%がセルビア人のこともあり、セルビアと共に最後までユーゴ連邦に残っていましたが、2006年円満に独立を宣言した共和国です。アドリア海から入り込んだ湾の最も奥にコトルがあります。
画像
画像
コトルは複雑な海岸線と山々に囲まれた天然の要害の地ですが、背後の山に沿って城壁が築かれています。その昔、オスマントルコが山から襲って来るのに備えたものです。写真右は城壁内のコトル市街です。
画像
聖トリプン大聖堂、ローマ・カトリック教会です。何度か地震にあっていますが、塔以外の部分は1160年創建当時の姿だそうです(鐘楼は17世紀のもの)。




画像
画像
写真は街の広場にある聖ルカ教会(1195年創建で当初はカトリック教会、現在は東方正教会)とその内部です。
画像コトルから山道を登るとツェティニェ(Cetinje)という町があります。現在は人口1.5万人の町ですが、1946年まで一時期を除き500年間モンテネグロの首都でした。特に19世紀ニコラス王の時代は栄え、欧州各国に王女を嫁がせる等独立を維持するため腐心しました。 第2次大戦で枢軸国側についたため、戦後王国存続は認められませんでした。写真はニコラス1世宮殿(現在は国立博物館)です。
小国で独立を守り運営するのは大変なことです。現在EU加盟を申請中ですが、通貨はユーロです。ユーゴスラビア連邦崩壊後ドイツマルクを通貨にしていましたが、ドイツがユーロになり現状が許容されているのだそうです。
0

アドリア海エーゲ海クルーズ---ドブロブニク

今回のクルーズ最初の寄港地はクロアチアのドブロブニクです。
画像町の北に位置する標高412mのスルジ山にはロープウェイで登ると、「アドリア海の真珠」と言われるドブロブニクの町が一望に見渡せます。城壁の海側が旧市街、城壁の手前外側が新市街です。屋根が皆同じ色ですが、この地方の土で瓦を焼くと見事なオレンジ色になるそうです。
画像旧市街を囲む城壁は8~16世紀増改築しつつ建造されました。写真は旧市街への入口ピレ門の周辺の城壁です。山側の城壁は初期にはマジャール人、その後オスマントルコの脅威に備えるものでした。15~16世紀にはヴェネチアと並ぶ貿易都市として栄え、ヴェネチアとは上納金を払って和平を保ったとのことですが、長年にわたりハンガリー王国、ついでハプスブルグ家、更にナチスドイツの支配を受けたとのことです。
画像門を入るとオノフリオの噴水です。1438年建造、天然の湧き水として周囲12箇所の蛇口から取水できます。画像ここからルジャ広場まで200mが目抜き通りプラツァ通りです。第2次世界大戦後、東欧社会主義体制のもとユーゴースラヴィア連邦は独立しましたが、チトー大統領が1980年に死去すると多民族多宗教のこの国は民族運動が盛んになり、1989年ベルリンの壁崩壊を機に、クロアチアは1991年6月独立を宣言。しかし旧ユーゴースラビア連邦軍の猛攻撃を受け、ドブロブニク旧市街の大部分が破壊しました。1992年クロアチア共和国として正式に認められ、2013年にはEUに加盟しました。ドブロブニクの街は修復され、1994年世界遺産に再登録されました。
画像旧市街東端のポンテ門を出ると旧港です。振り返ると聖母被昇天大聖堂の屋根が見えます。この国の人口430万人のうち約9割がクロアチア人で宗教は国民の9割がローマ・カトリックです。クロアチアワインを飲んで小休止の後、船に戻りました。


0

アドリア海エーゲ海クルーズの船

高校の同級生2カップルと共に6名でアドリア海エーゲ海クルーズに行ってきました。
画像ヴェニス出発(7月1日)/帰着(8日)で、ドブロブニク(クロアチア)、コトル(モンテネグロ )、サントリーニ島(ギリシャ)、カタコロン(オリンピア・ギリシャ)に寄港観光する船旅です。羽田空港とヴェニス往復は、フランクフルト乗り継ぎのルフトハンザ航空便です。ヴェニスには深夜に到着し、ホテルに泊まり、午前中ヴェニスを観光した後、写真の船(Rhapsody of the Seas)に乗船します。
画像旅行社(JTB)のツアーで、添乗員が日本から同行してくれているので随分と気楽です。出港後、アドリア海に向けて大運河を航行します。写真はサンマルコ広場付近を通過するところです。
画像
画像
客室とバルコニーです。船は7万8000トン、全長278m、最大幅32mのカジュアルクルーズ船です。旅客数は2000人弱、米国人、英国人が各々約600人、残りは色々ですが、中南米参加者が多いようでした。中高年層の他、ハネムーン、子供連れの家族、十数人のファミリーでの参加など様々です。
画像
画像
メインダイニングルームとカフェレストランです。
フォーマルナイトが2回ありましたが、おシャレして来た人は半分、タキシード着用ゼロでした。

画像中央のラウンジで、船員の紹介が行われているところです。乗組員は約750人、船長はアルゼンチン人で、米国人は16人、フィリピン人が約240人。
船内には日本食レストランもありますが、日本人乗組員はゼロです。



劇場の写真です。毎晩イベントがありますが、寄港地の観光ツアーは沢山のグループに分かれますので、その集合場所にもなっています。
画像

画像





船の最上階には、プール、フィットネスクラブ、ジョギングコース、カフェラウンジなどがあります。
0

沖縄科学技術大学院大学訪問

画像沖縄は梅雨明けしたようですが、梅雨入り寸前の今年5月初旬に沖縄科学技術大学院大学(OIST)を見学する機会がありました。沖縄本島の西海岸を望む恩納村谷茶に位置する、亜熱帯の森に囲まれた面積222ヘクタールの敷地に建つ教育研究機関です。学際的・国際的な大学院大学を沖縄に作る構想は、2001年に始まり、2011年設立、5年一貫制博士課程の学生を2012年9月に34名受け入れ、今年初めて卒業生を出します。手前中心のチョコレート色の複数の建物が研究棟、オレンジ色の屋根の建物群は、教授・研究者・学生の居住区域です。
画像写真は、OIST入口の受付から建物の回廊を撮影したものです。大学設立にあたっては、ノーベル賞(生理学・医学)受賞者のシドニー・ブレナー氏を理事長に迎えたのをはじめ、世界最高水準の科学者を集め、学部を設けず学際的な研究ユニットで構成されています。現在、教員57人(内外国人36人)、研究スタッフ496人(内外国人230人)、学生130人(内外国人32ヶ国から107人)、学内の公用語は英語です。
画像OISTにおける研究は、神経科学、生物学、物理学、化学、海洋科学、遺伝学、数学、材料科学といった幅広い分野で行われています。3箇所の研究室を見学しましたが、写真はそのうちの1つで、エネルギー材料と表面科学ユニットで、説明者はヤビン・チー准教授(中国人でプリンストン大学を経て着任)。薄膜のプラスティックフィルムに電気回路がプリントされたような太陽電池の研究・性能向上に取り組んでいます。研究スタッフの一人はスペインから来ている女性でした。
画像マイクロ・バイオ・ナノ流体ユニット(エイミー・シェン教授--イリノイ大学出身)では、手のひらサイズのマイクロ流体プラットフォームを使って、ナノスケールで流体の性質や反応を調べるもので、病気の診断、治療に役立てようとしています。地元振興につなげる趣旨で「ウコン」の分析も行なっており、認知症予防にも効くのだそうです。
画像正面に座っているのが、現在の学長(第2代)でドイツ出身のピーター・グルース氏。その右隣が設立以来首席副学長として日本政府(特に内閣府)と交渉にあたる等技術開発イノベーション担当のロバート・バックマン氏(米国人、ハーバート大学医学部神経生物学教授)。我々見学者の質問に的確に答えてくれていました。OIST予算の97%は日本政府(内閣府)から年間167億円が交付されているものの毎年減額されているようで、現在5億円規模の民間からの共同研究・委託研究による資金調達(現在205社)をもっと増やす努力をしていくとのことです。本年度採用した学生は35人ですが、国内外から800人が応募し、書類選考、能力試験で選考しているとのことです。今年卒業予定者は約半数が教員・研究機関、半数が民間企業へ、外国人は殆ど出身国には戻らないそうです。
画像オレンジ色の屋根の建物群の左には居住区の駐車場が見えます。約半数がこの居住区域に住み、子供の保育所・幼稚園も完備しています。残りの約半数の人達は、市内に居住し、一般市民と融合することを狙っているとのことです。
0

梅雨前の箱根湿生花園散策

今週始め箱根湿生花園内を散策してきました。写真はクリック或いはダブルクリックすると拡大します。
画像サンショウバラです。葉がサンショウにそっくりでピンクの一重花が、6月中旬には木いっぱいに咲くそうですが、2日ともたず次々と散ってゆく短命な花です。世界で最も幹が太いバラとのことです。富士箱根の特産種で、箱根町の花に指定されています。日当たりのよい場所を好み、高木の下では日照不足で枯れてしまいます。サンショウバラは中国と日本が陸続きだった大昔に渡ってきた植物といわれています。陽地を求めて火山から火山へと移っていくうちに、新しい火山である富士山や箱根に生き残ったもののようです。(元湿生花園副園長井上香世子氏執筆の「箱根湿生花園の花」の解説による、以降も)。
画像ハマナスです。北海道から東北・北陸・山陰の海浜に分布し、赤い実を梨にたとえて、ハマナシがハマナスになったとのことです。箱根に海はありませんから、勿論自生ではありませんが、6月上旬から下旬にかけて見頃です。
画像ニッコウキスゲ(日光黄菅)は、日光に咲くスゲに似た葉の黄色い花の意味で、北海道から本州(南限:京都)の湿原や多雪地に分布しています。これも箱根自生ではありませんが、ユリに似た花は今が盛りです。一日花で、朝咲いて夜にはしぼみ、次の日は別の花が咲くのだそうです。
画像クリンソウ(九輪草)は、花が段をなして咲く様子がお寺の塔の上にある九輪塔に似ているのでその名が付いています。湿地を好み今が花の見頃です。写真の右に見える大きな葉は水芭蕉です。雪解け時期の尾瀬では今が水芭蕉の花が見頃と報じられていますが、2ヶ月もすると芭蕉のような大きな葉になるので水芭蕉と呼ばれているのだそうです。
0

横浜の100万本花運動

3月25日から明日6月4日まで、横浜市内各地で、「Garden Neclace Yokohama 2017」と称する花フェスタが開催されています。これは全国緑化運動の一環として、花や緑がネックレスのように、まち、人、時をつなぎ、美しい横浜を表現しようという企画です。なお、横浜市では、この数年間、従来の住民税にプラス「横浜みどり税」を支払っています。
画像「港の見える丘公園」では、イングリッシュ・ローズガーデンを中心に、色彩豊かな草花を各所に配置しています。木々の間に横浜港ベーブリッジが望めます。(写真をクリックしてみてください。拡大します)。
画像「山下公園」では、190品種、2600株のバラに多種類の色鮮やかな草花を加え、連続するアーチや、夜ライトアップされる光のトンネルなどが配置されています。写真に見える氷川丸は1930年この横浜の造船所(横浜船渠、後の三菱重工横浜造船所、現在はみなとみらい21になっている)で建造され、日本郵船により太平洋横断航路の高速貨客船として1960年まで現役でした。現在は、横浜市博物館船として公開されています。
画像このフェアのシンボルキャラクターのガーデンベアです。草花を立体的に植えつけた花壇で、山下公園の中央に配置されています。以上3点の写真は一昨日6月1日に撮影したものです。
画像次の写真2点は横浜の西部の旭区の里山ガーデン会場で4月10日に撮影したものです。会場は、よこはま動物園ズーラシアに隣接する広さ1万m2の土地を利用しています。写真の大花壇は、桜、パンジー、ビオラ、ベチュニア、サルビアなどが見頃でした。
画像チューリップも見頃でした。今は、カキツバタ園が美事のようです。
0

人混みを避けた京都寺社散策(その2)

京都はタクシーでの移動が便利ですが、今回はタクシーを使わず、3日間毎日500円の1日バス乗り放題乗車券を買って移動しました。市バス/京都バスの路線図を持っていると楽です。修学旅行生のグループ活動もバスを使っている学校もかなり多いと感じました。
画像京都駅から下鴨神社へは2系統のバスが各々20分毎に出ているので、最大10分も待てばバスがやってきます。30分ほどで下鴨神社前です。創建は崇神天皇の時代とされているようで、上賀茂神社とともに奈良時代以前からあった京都でも最古の寺社の一つとのことです。写真は参道の大鳥居ですが、本殿は国宝になっています。
画像参道沿いの森は「糺の森」と呼ばれ、12万m2の広さに樹齢数百年の木々が生い茂っています。
方丈記の作者鴨長明は下鴨神社の神職の家に生まれています。下鴨神社は賀茂川と高野川の合流する地にあり、方丈記冒頭の「ゆく川のながれは絶えずして-----」に繋がっているのかも知れません。歌人とし優れた長明を後に後鳥羽上皇が下鴨神社に付属する河合神社の神官に任命しようとし、長明は大変喜んだのですが、鴨家一族の長が猛反対し実現しませんでした。長明は出奔し失意のうちに大原、後に日野山に方丈を構え、方丈記を残し、62歳で亡くなったとされています。
画像大徳寺は臨済宗大徳寺派の総本山であり、鎌倉時代末期に創建され、応仁の乱後に一休和尚により再建されました。豊臣秀吉はここで織田信長の葬儀を営みました。写真の山門(金毛閣)は千利休が単層から重層に改築した折、上層に自身の像を安置したのが、秀吉の逆鱗に触れ利休が切腹を命ぜられるに至ったものです。
画像大徳寺大仙院は、1509年に創建され、その方丈は国宝になっています。写真の書院「生苕室」は千利休が秀吉に茶を呈した所とされています。部屋からは枯山水の庭園がのぞめます。(この写真は寺で販売している写真集から転載したものです。)また、本殿には相阿彌、狩野元信ら室町時代の巨匠による襖絵を見ることができます。当日は来訪者があまり多くなかったお陰で、我々夫婦専用で大仙院内を案内してもらいました。
画像建仁寺は、1202年臨済宗の開祖である栄西が開いた京都最古の禅寺です。方丈は1599年恵瓊和尚が広島の安国寺から移建下もですが、この写真は、方丈から「大雄苑」と称される枯山水の前庭の向こうに法堂を眺めたものです。
画像俵屋宗達の「風神雷神図屏風」を所有しています。写真は精密複製の陶板画です。本物は京都国立博物館にあります。




画像
法堂の天井には、小泉淳作の大作である「双竜図」が描かれています。龍は想像上の動物なので、伝統的に、角は鹿、口は鰐、胴体は蛇、足は鷹、目は牛を模しているとのことです。小泉氏は雲を描くのに最も苦労されたそうです。
0

観光客で混雑する寺院覗き

画像
1週間前の京都は、5月なのに滞在中の3日間、気温が29、30、31度と連日の暑さでした。しかし、街中、観光客で一杯。金閣寺は、外国人や修学旅行生で溢れかえっていました。
画像清水寺周辺では、「KIMONO RENTAL」と看板を出した店が沢山あり、好きな柄と大きさの着物を自分で選び、着付けもしてくれ、料金は3千円から安い所は2千円弱。街に着物姿が増えると京都の風情にも貢献するということで、店舗の「着物割引」もあり、外国人や日本人を問わず着物姿で記念撮影をする人が多いです。
画像

清水寺の本殿は工事中ですが、それでも沢山の人だかり。




画像

龍安寺は、朝8時半でしたが既に中学生の修学旅行バスが横付けされていました。

0